自分を慈しむ時期
1つが、時期の問題です。
性依存(セックス依存、性犯罪)というのは、極限までにパートナーを傷つけてしまいます。その傷ついたパートナーは嫌なことがフラッシュバックしたり、怒りに震えたり、復讐したいという思いが出たりします。
仲直りしたいのに、恨む。
当然です。
自分に非がないのですから。
○○した方がいい、という助言(正論?)を言われても従う気になれない。
当然です。
自分に非がないのになぜそこまでしなければいけないのでしょう。
「不貞行為は被害ではなく『病気の症状』と捉えるべし」といわれても納得できない。
当然です。
自分にとって、不貞行為は誰が何と言おうと被害だからです。社会正義に照らし、間違っていることは間違っていると主張することは必要です。
自分が傷ついている時に大切なことは、ゆっくりと自分自身をいたわることだと思うのです。
当事者という他人ではなく、自分と向き合って欲しいです。
当事者の問題をどうこうしようというのではなく、自分と向き合うということです。
「当事者と私の関係」ではなく、自分と向き合うことといってもいいかもしれません。
そういう、ゆっくりと穏やかな気持ちで自分をいたわるという「自分を慈しむ時期」を経ずして、当事者との関係に折り合いをつけることはできないと思っています。