『自省録』を読んで③

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運命愛(amor fati)

ドイツのニーチェも提唱している概念です。

いかなる境遇にあっても自らを愛し、自己の運命を積極的に肯定して生き抜こうとする態度のことをいいます。必然的なことを愛するということです。

「なぜこのようなことが起こったのか」という過去や苦しみに焦点を当てた問いから脱却し、未来に目を向けた問いを発するべきとH・S・クシュナーは言いますが、この考え方は運命愛にも通ずるものがあるでしょう。

「私は何をしようか」という力強い問いは、運命にどう立ち向かっていくかを自分で選んでいく意思表示でもあります。この立ち直っていく力こそが、人間の尊厳ではないでしょうか。

不幸としか思えないような出来事

不幸としか思えないような出来事に意味があるとしたら、それは日常の小さな幸せに気付き、「善く生きる」ことについて考える機会があたえられることにあると、心理学者の岸見一郎さんは言います。

しかし、これは決して他者から言われることではないとも忠告しています。「不幸と思われる出来事のなかに意味を見出せ」という助言は、本人だけが自分自身に対して発することができる言葉なのです。

過去も未来も善悪無機

過去を振り返って悔んだり、未来を難じたりするのではなく、今できることをすることが肝心です。

「今をどうするか」を考えていくところに、私たちが哲学を学ぶ理由があります。

さいごに

「これは耐えられない」と思うような出来事を経験することは、人生のなかで一度はあると思います。

それを乗り越える、立ち直っていくときに、ぜひ自省録の言葉を思い出してみて欲しいと思います。

きっと、心が楽になり、幸福へ近づくことができると信じています。

書評
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