逮捕報道されているのは自分が悪いからであって、自業自得だ。
だが、あまりに重くのしかかっているので、思うところはある。
社会インフラ利用制限
自分の性犯罪は報道されている。
逮捕報道の影響は計り知れず、一番驚いたことがフリマアプリのメルカリが利用制限となっていたことだ。
おそらく、賃貸契約であるとか、銀行口座開設でも支障をきたすだろう。
逮捕報道は社会インフラの利用制限を招くと思う。
再就職が厳しい
そして再就職の難しさ。
転職会社に登録しようとしても、今では登録しようとしている人の情報はインターネットで調べるらしく、断られてしまう。
報道は公共の利益であるし、危険な人物の共有は有益とされる。
でも逮捕報道で被疑者は生きにくくなってしまうのも事実だと思っている。
友人関係に支障
もう一つが、友人関係。
性犯罪の報道というのは噂話のタネになりやすく、噂が噂を呼び、多くの人に広まっているはずだ。
実際は広まっていないのかもしれないけれど、そう思い込んでしまう自分がいる。
だから、友人関係が一掃されてしまった。
今では、誰にも連絡できない(連絡したくない)心境である。
孤独は嫌なので、友達が欲しい。
でも自分の名前をWebで調べられたら、すぐに性犯罪歴がわかってしまう。
「匿名になりたい」と強く思う時がある。
「外国に住んでみたい」と思う時がある。
週刊誌が嫌いになった
ところで、最近は週刊誌が嫌いだ。以前は面白おかしく読んでいたが、今は書かれている人の心境を考えてしまう。
薬物の清原選手とか、不倫の東出さんとか。
本人を再起不能にしたいのか?と憤りを感じる。
悪いことして困るのは本人だし、悪いことをしていると本当の幸せにたどり着けないと思う。
悪いことしてしまったら、自分で気がつくまでそっとしておいてあげて欲しい。
悪いことしそうな時は、写真撮ったり記事書くんじゃなくて、注意してあげて欲しい。
逮捕報道にどう向きあうのか
ここからが本題で、じゃあどうするのかという話。
逮捕報道にどう向き合うのか。
ずっと考えてきた。
結論は、消せるものは消す、消せないものは受け入れる、自分の行動や考え方を自分の意思に従わせる。
消せるものは消す
まず、消せるものは消したほうがいい。
まずは、サイト管理者に消してもらうようにお願いする。(お願いで結構消してもらえる)
そのお願いに応じてもらえない場合は、プロバイダ責任制限法に則って削除を申し立てる。
消せないものは受け入れる
それでダメなら裁判だが、裁判まで行かずとも、上記の方法でかなりのサイトが削除依頼に応じてくれる。
最善を尽くして残るものは受け入れるしかない。
サイトが海外事業者のものであれば、削除が困難だし、逮捕事実のみを書いていて誹謗中傷もない場合はそもそも削除依頼しても応じてもらえない。
そのような仕方がない記事は受け入れる。
ああ、悲しいことだとか、孤独でつらいなとか、生きにくくなったなぁとかをありのままに受け入れる。
逆らわないで、受容する。
それが自分の経験上は一番いい。
ニーバーの祈りというものがある。
神様、私にお与えください。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを。
変えられるものは変えていく勇気を。
そして、二つのものを見分ける賢さを。
まさにその通りだと思う。
自分の行動や考え方を自分の意思に従わせる
ちょっと難しいのが、自分の行動や考え方を自分の意思に従わせること。
逮捕報道という事実があるけれど
それに対してどう考えてどう行動するかは自分が選べる。
逮捕報道があるから、引きこもるのか。
逮捕報道があるけど、頑張っていくのか。
自分の反応は選択することができる。
自分の人生だから、自分でいいと思う方を選びたい。
ちょっと変な言い方かもしれないけれど、逮捕報道に支配されるのではなく、逮捕報道を支配したい(反応を自分で決めたい)。
さいごに
自分もできない時があるから偉そうに言えないけれど、自分なりに頑張ってる。
この文章が誰かの救いになればこんなに嬉しいことはない。
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