元妻との養育費に関する争いがある。
人と、争うことはしたくないが、いかんせんこの問題ばかりは争いが避けられない。
ここでは詳しく書かないが、私の尊厳や人生を否定されるコメントがあり、養育費を多く支払っているときにそのような発言があったので、私は看過できないと感じている。
養育費とは、交渉事である。
当然、多い少ないという問題なわけで、お互いの主張を述べた後で、双方が歩み合うことで妥協点を見つけて折り合いをつけるか、決別してしまい調停に入るかということになる。
しかし、養育費というのは、本来は「子供の権利」であり、親はその代弁をしているだけである。
親が争い合い、子供が置いてけぼりになる結果は望ましい結果とはいえない。
今回の双方の主張を通して、色々と気付いたことがある。
二面性
まずは、どんな出来事にも、二面性があるということである。
養育費7万円を毎月払っているという出来事に対して、
7万円はかなり負担だなと感じる人もいるし、7万円ぽっちでぐちぐち言うなと感じる人もいる。
本来は0円のところを7万円払っているととらえている人もいれば、昔は8万円だったのに減額されて7万円になったととらえる人もいる。
算定表通り払っていれば十分と捉えるひともいれば、迷惑をかけたんだから算定表以上を払って欲しいというひともいる。
再婚して子供が生まれたので減額して欲しいという要望をいったら、自分は正当な主張だと感じるし、相手にとっては意地悪をされているように感じるかもしれない。
結局は、自分には自分の考え方があり、相手には相手の考え方がある。
どうしても自分の意見は正しいという固定観念が抜けないと思う。
絶対に自分が正しい、そう思い込みながら、討論をしていくことになる。
歩み寄り、折り合いをつけていくのであれば、この姿勢ではいけない。
結局は、自分も相手も(無意識かもしれないが)”得”を目指しているということを冷静に見定めないといけない。
そして、双方の妥協点を探るしかない。
その時に、自分が被害を受けたんだという被害者感情や、大変な状況なのに頑張っているという自己憐憫が邪魔するだろう。
冷静な話し合いには被害者感情・自己憐憫は捨てなければならないし、相手も同じような感情を抱いているかもしれないという心遣いが必要だと思う。
心理分析
養育費の争いを冷静に見てみると、
まずは、自分の主張は正しいという傲慢さがある。
そして、互いに言い合いをしているというのは、相手を言い負かすことができるのではないかという期待(すなわち、相手は自分の言い分を聞いてくれるのではないかという期待)があるのだろう。
つまり、傲慢さとコントロール願望があるのだと思う。
そして、そもそもの闘争心がどこからくるのかというと、
私の場合は「捨てられた(離婚宣告)」「面会交流の拒否」というところに対する復讐・反逆
相手の場合は「犯罪行為で人生を台無しにされた」という被害感情
が根底にあり、それぞれがその思いを抑圧して生きてきたところで、
養育費という問題が出てきた。
本来であれば、双方の収入で自動的に計算してお話しはおしまいとすればいいところに、
お互いの抑圧していた感情が表出したのだと思う。
つまり、養育費問題をきっかけとして、双方が抑制していた感情を爆発させているのだ。
それぞれが、相手を言い負かしたいと思っているし、相手の言うことには屈したくないとも思っているはずであるから、
交渉が成立しないし、妥協点も探れないし、折り合いもつかない。
今回の問題を解決するためには、一度よく話し合って、
養育費に関して、両親の色々な感情を持ち込むのはやめて、算定表なり第三者の意見(調停委員や裁判官など)を聞きながら決めていけばいいと思う。
「捨てられた(離婚宣告)」「犯罪行為で人生を台無しにされた」という被害者感情を捨てて、
離婚を申し出たのは私である、犯罪行為をして相手の人生を壊してしまった、という加害者感情を持つことが大切だろうと考える。
しかし、これは本当に難しくて、硬化した態度の相手を目の前にすると、どうしても自分も反発したいと思ってしまうものである。
最後に
今回の交渉では、多くのことを考えるきっかけになった。
怒り・恨み・復讐
そういった、どろどろとした感情の葛藤を経験しているし、目の当たりにしている。
自分がどうにか成長していきたいし、良い方向で解決していけたらと思う。
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