まずいものを食べたから味わいが分かる

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まずいものを食べると、普段食べていた何気ない料理がおいしかったんだなと分かることがありますよね。

普段食べている料理の素晴らしさって、なかなか気が付かないものです。

基準が変わる

昔どこかの本で読んだのですが、「海外旅行をする目的は、帰国するとき、自らの国を外国として認識するためである」というような言葉がありました。

自分が住んでいる国は、「当たり前」ですし、何かと外国と比較するときなどは、自国が「基準」となっています。

しかし、海外旅行に行くと、旅先での出来事を経験して、基準が作り替えられます。そうすると、帰国したとき、「ああ、やっぱり日本って〇〇だな」と日本を再認識することができるのです。

今まで、当たり前だった日本に新鮮さをもたらしますし、新しい発見があるかもしれません。

よくある話だと、トイレが綺麗だとか、自動販売機が多いとか、そういったところでしょうか。

辛い経験が幸せを生む

辛い経験が幸せをうむことがあります。

ケガや病気をすると、健康のありがたさを痛感します。

誰かとケンカすると、円滑な人間関係の大切さに気付きます。

まずい弁当を食べると、おいしい弁当のありがたさを痛感します。

これは、先ほどの話と同じで、「基準」が変わったのです。

困難を経験し、「幸せと関じる閾値」が下がったのです。

そうすると、当たりまえの日常がちょっと幸せに感じたりします。

依存症を経て、どう感じるか

依存症を経験して、あなたは日常をどう感じますか?

私であれば、あの時はおかしかったなと感慨深く振り返ることもあります。

そして、今は、問題行動していないから、清々しいなと感じます。

依存症と向き合って生きていくことで、日常に幸せを感じる機会が増えました。

朝起きて、朝ご飯を食べて、彼女を見送り、日中は仕事したり精神科にいったり、夕飯の買い出しに行って、夕飯を彼女と食べて、風呂入って寝る。

この当たり前の生活が今はとても幸せです。

依存症が与えてくれたものがあるとすれば、このような「当たり前の日常を喜ぶことができる自分」なのかのしれません。

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