お金とプライド
仕事をしていないから自分のプライドが保てないと書いたが、そのプライドはどこからくるものなのか。そもそも本来のお金の持つ意味は等価交換である。なぜ、収入がプライドにつながっているのかを考えてみた。
プライドの正体は、
- 周囲との相対比較で得られる自己重要感
- 社会に貢献している悦び
の二種類の感情があるのではないかと考察した。そして、前者が悪いプライドであり、後者が良いプライドであるという主張をしたい。
収入の相対比較で得られる自己重要感
まずは、お金を稼いでいるなかで生まれてくる副次的な効果として、「俺すごい」という自己重要感がある。
この自己重要感は限界がないし、相対比較によって成り立っているため、悪いプライドと言ってもいいだろう。
数字が大きい方がいいと思うと、そこにはゴールがない。他人と比較してしまえば、世界一にならなければ満足できないということになってしまう。
例えば、自分の年収が700万円で「俺すごい」という自己重要感が得られるかどうかは、周囲の環境によるということだ。周囲の人が、少ない努力で800万円稼いでいたらきっと満足することができないだろう。一方で、年収700万円が自分の属するコミュニティーの上位であれば満足度は高い。
この考え方はもちろん良くない。
自分の幸福度を下げる。
貢献の喜び
一方、「俺は誰かの役に立ってる」という貢献の悦びは良いプライドだ。
自分が貢献していることを誇らしく思う気持ち、社会に対してなにか働きかけをしているという自負はとても大切である。
「ありがとう」といってもらえることや、お金を払ってでも自分に依頼してくれる喜びといったものが重要なのである。
自己肯定感につながると考えている。
2種類のプライド
まとめると、他の給与所得者と年収の多寡を比較して得られる「俺すごい」という自己重要感は悪いプライドだ。上限がないため不必要に上を目指してしまう恐れがあり、相対比較だから周囲の環境によっては満足が得られないという性質がある。
一方で、顧客や社会とのつながりの中で得られる「俺は誰かの役に立ってる」という悦びは良いプライドだ。他者に貢献し感謝されるという人間の原則にのっとった悦びであろう。
私はどうも、他人と比較して年収を考えてしまいがちだ。収入が世の中の上位何パーセントに入っているから嬉しいというような考え方を若いうちからしてきた。これは、先述のとおり、良くない考え方である。
一方で今は、無職無収入となり、他人と比べて劣っているという感じよりも、社会に貢献できていない自分は情けないなという気持ちが大きい。誰からも感謝されないし、だれにもサービスを提供できていない。
悲しい現状なんだけど、悪いことばかりではない。お金に対する色々な考え方に気付くことができて良かったと思っている。このブログでお金について扱えるくらい考えをまとめることができたのは大きい収穫だ。今では、顧客や社会に多く貢献できているかどうかを考えるのが年収についての正しい考え方なのだと分かってきた。
ボランティアの心理
最近になってボランティアするということの心理を考えることができるようになった。
ボランティアする人のことを資本主義的に考えると、明らかに損をしている。
災害ボランティアは、無給で働く上、自分が怪我したりするかもしれない。
国境なき医師団は、国内で働くよりも給料は少ない。
しかし、やる人がいる。
なぜやるのかといったら、貢献できている悦びや充実感を感じることができるからだ。
そして、自分がどこまで貢献できるのか自分の限界を知ることで、自分の成長にもつながるから。きっと、のんびりぬくぬくと仕事をするよりも、自分が求められている度合いが高いところへ行くことは、自分の能力を見つめなおすチャレンジなのだろう。
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