近況報告

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ご無沙汰しております。

久しぶりにブログを書きたいと思います。

実は、ブログを書きたいと思って昨日画面を立ち上げたのですが、うまく表現がまとまらなくて、断念していました。

今日は、リベンジです。

さて、先日、資格試験が終わりました。

40日くらい勉強したでしょうか。

マクドナルドや喫茶店に移動して、勉強していました。

オレンジのペンで書いたものを、赤いシートで隠しながら覚えていました。

最後のほうは、寝る前に目を閉じたときに、いろいろな内容を思い出せるようになったので、だいぶ覚えられたと思います。

試験の出来はまずまずでした。

合格を期待して、試験結果の発表を待ちたいと思います。

試験の終わりころは、なんだか煮詰まっていて、「本を読みたい」「運動したい」「長く寝たい」と思っていましたが、いざ終わってみると、思ったようにいきません。

読書、運動、睡眠をしたかったはずなのに、YahooニュースやYoutubeを見て夜更かししています。

そして、毎日寝る前に、充実した時間が過ごせなかったと悔やんでいます。

私の悪い癖です。

ジャンクなネットの情報に触れながら、夜更かしをする癖を改めたいと思っています。

どうしたらいいのか、自分でもよくわからないのですが…

話は変わって、最近は自分の人生を考えることがあります。

振り返ったり、これからのことを考えたり。

過去を振り返ると、つくづく思うのが、私は「自分のことが分かっていなかった」ということです。

そして、分かろうともしていなかった。

私の問題は性加害です。被害にあわれた方や関係者を傷つけてしまいました。多くの信頼を失いました。

それは事実です。実際に起きたことです。

では、その原因となった心の動きは何だったのか。その目的は何だったのか。

そういう振り返りを最近はしています。

深いところに潜っていく感じです。

一つの仮説が浮かびました。

自分は破滅したかったのではないか。

一種の精神的自殺だったのではないか。

そんな感覚があります。

「無差別殺人をしてから自分も死刑になりたかった」というセリフをニュースで聞いたときに、自分は他人事には思えませんでした。

自分の中にも、同じような構図があったのかもしれないからです。

そして、なぜ、自分は滅びたかったのか。

それは、父親との死別に関係していると考えています。

自分は、思った以上に、傷ついていたのかもしれない。

十分に悲しむことができなかったのかもしれない。

そう、最近は考えます。

(自己憐憫と思われる方がいたら、その意見を私は尊重します。私も、振り返るときに、自己憐憫から完全に逃れることができないと感じます。)

そして、誤解を恐れずに言えば、

当時の私がしていた性的な問題行動は、不本意ながらしていたことです。

ほかの人から見たら、性欲に負けた人間。性欲が自制できなかった人間。

きっとそうだと思います。

その考え方を否定するつもりはありません。

あくまで、自分が振り返った時の話なので、誰かを傷つけたり、怒らせたりしたくはないので、それだけはわかってほしいです。

そのうえで、

私は、性加害を不本意ながらしていました。

不安や自信のなさ、そして肉親との死別による傷つき、人間関係の問題、いろいろな苦しみがありました。

それが、私の中で、性的な渇望になりました。

この渇望はとても強いものでした。常軌を逸したものでした。抑えきれないほどの性的な渇望でした。

そして、その目的がなかったのです。

目的がない?と疑問に思われる方もいると思います。

しかし、目的がないのです。

結果はありますが、目的がなかったのです。

変な例え話で恐縮ですが、

試験に合格したいから勉強する、というのが正常な構図だと思いますが、

勉強したいから勉強する、という不自然な状況に私の問題行動は近かったのです。

ほかの人から見たら、この人はとても合格したいんだなと思うかもしれません。

しかし、合格を目的としていなくて、あくまで勉強したいから、勉強している。

手段が目的になっているんです。

精神科で勉強しましたから、それがドーパミンによる習慣化なのだと、現在は理解できています。

つまり、誰かを傷つけたいという目的もないですし、私自身のなかでは「加害」とは思っていませんでした。

いろいろな人に、被害を与え、信頼を失ったのですが、それは不本意なことで、意図していないことだったのです。

そんなことをしたら、逮捕されたり、信頼を失ったり、人が離れていく、というのは普通は容易に想像できるはずなのに、当時の私は視野が狭くなっていました。何も考えられない状態でした。

そして、人生を振り返ってみると、焼け野原になっています。

ブレーキとアクセルを踏み間違えて、人をひいてしまい、死体が血だまりとともに横たわっている状態を私は思い浮かべます。

しかし、殺そうとして刃物で人を刺したというのとは違います。

あくまで、自分の意図していない殺人です。

今までの人生を振り返ると、私は悲しい気持ちになります。

こんなに人を傷つける人生にはしたくなかったな、とやるせない気持ちです。

不本意ながら人を傷つけるというのは、こんなにも辛いことなのか。

申し訳ないと、今では多くの人に、心の中で謝罪しています。

しかし、当時に戻ったら、同じ人生をたどったとも思います。

避けられなかった、と。

自分で自分のことをわかっていなくて、暴走してしまっていました。

そろそろ、午前2時を過ぎましたので、今回のブログは終わりにしたいともいます。

次回は、これからの人生についてを書きたいと思います。

生きにくくなってしまった人生、いろいろなものをリセットしての再起ですが、何とかサバイバルしています。

家族を守る、自分を守る。

生活を営むことは、大変です。

資本主義社会のなかで、戦わなければなりません。

年金も期待できず、税金や社会保険料の負担も大きい。

物価高騰もあり、通貨価値は下落しますから、現金を何に変えて貯蓄するべきか。

私には解雇リスクもあります。

いろいろなことを考えながら、戦略的に進まなければいけません。

巷の参考書は役に立たない特殊な状況にどう対処するか。

また、人生の目的や幸せとは何か。人生哲学も忘れてはなりません。

あと、40年くらいしか生きられないのです。

どのように人生を設計していくか、考えていきます。

まとまったらブログに書きたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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