エディプス・コンプレックスというのは、精神分析の用語だ。
男子が母親に性愛感情をいだき、父親に嫉妬する無意識の葛藤感情。
人間は乳幼児期から性愛衝動をもち、無意識に異性の親の愛情を得ようとし、同性の親に対しては嫉妬するが、この衝動は抑圧されている。
このことを十分理解してなんらかの方法で解放しないと、一種のしこりないし屈折となり、のちに神経症を発症することがあるという考え方だ。
父親を殺し母親と結婚したギリシア神話のエディプス (オイディプス) 王にちなんで名づけられた。
このエディプス・コンプレックスを扱った村上春樹の小説を読んだことがある。
村上春樹の
などがそうだと思う。
そして、今こうして考えると、自分の人生にはこのエディプス・コンプレックスが深く関与しているのではないかと感じる。
私は一人っ子だった。
両親と自分の3人の世界で生きていた。
そんな中で、高校生の時に父を亡くし、
その後は母親と2人きりで過ごした。
大学で一人暮らしを始めたので、母との二人暮らしは2年間だった。
母親との2人暮らしにあたり、私は父を喪失した不安から、父親の役目も担おうとしたのかわからないけれど、「男性的」なものを高めたいと思っていた。
それが、勉強だった。
当時は帰宅部だったのだが、猛勉強をするようになった。
良い成績をとって、成績表を母親にみせて、褒めてもらうというのを楽しんだ。
みるみる成績は上がっていった。
そんな、思春期を私は過ごした。
振り返ってみると、「エディプス・コンプレックス」にあるような状況、つまり父親を排除して、母親と親密になるという状況が自然と出来上がった。
しかし、絶対権威である父親を失い、父親に嫉妬することもできず、自分がその「男性的な」役割を担おうとした。
子供として生きていくのを、強制的に終了させられ、一気に色々なものを背負ってしまったのかもしれない。
そう考えると、エディプス・コンプレックスという無意識の葛藤感情を不本意ながら抱けなかったのが私の人生なのかもしれない。
ところで、私の性の問題行動は、この母と二人暮らしを終えてから(つまり一人暮らしを開始してから)発症した。
ついでに言うと、私の初体験は19歳の頃で、大学に入学して一人暮らしを始めたときだった。
私は自分に自信がない一方で、性的な活動のときはサディストとしてふるまうことが多かった。
私は、自分の人生を俯瞰してみると、やはり「父親の喪失」や「母親との2人暮らしの終焉」と性の問題行動には因果関係があるように思えてならない。
無意識のことだろうから、うまく言語化できないし、自分にも他人にも説明することはできないけれど、その因果関係については確信がある。
原因を考えたところで、「だからどうするの?」といわれてしまいそうだが。
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