墓前にて
私は逮捕歴が3回ある。すべて父が死んだ後だ。だから、墓前で何度も父親に誓ったことがある。「もうしません」と。
しかし、意味がなかった。決心したけどダメだった。天国で父が見ていると本気で思って自分を律しようとしたけれど、それもダメだった。
しかし、今回は精神科に通っている。だいぶ自分も変わってきた。生涯で一番本を読んでいる。考え方も深まってきた。
墓前で「頑張ります」とか「もうしません」とか決心するのは、まさに神頼みに近い心境でダメだ。決心している自分に酔っている。何かを決心して、頑張っている未来の自分を想像することは、「楽」していることであり、「逃げ」である。たしかに、これから変わるぞと意気込んでいるときは、未来の人生を想像して興奮したり楽しかったりする。何かを決心するのは自分に期待しているだけの楽な逃げの行為なのだ。
決心するのではなく、「具体的な何か」を変えるべきだ。私は歓楽街に行かない・夜に外出しないといったルールを設定して守るようにしている。他にも、定期的な精神科デイケア通院、規則的に通っているジム、ほぼ毎日行っている読書などを通して、問題行動が入り込まないような日常のリズムを作っている。
今回の、墓参りでは、何かをお願いしたり、何かを決心したりする必要がなかった。初めての境地である。お祈りの時間も短かった。
「これからもよろしくお願いします」
とだけ伝え、墓の周りの雑草を抜いて帰ってきた。
墓前で決心するのはやめる。墓前では報告だけする。
いい報告ができるように、生きていきたい。
コメント
お墓参り、お疲れ様でした。お父様は何があっても主さまやお母さまを見守ってくださることと思います。
しかし依存症というのはつくづく恐ろしいものだと感じます。
私も5月に同居していた祖父を亡くし、自分でも驚くほどの悲しみに覆われていたのですが、2週間ほど経ってそれが少し和らいだとき、渇望も復活しました。
私は仏壇に手を合わせるとき、お願いをしてしまっているのですが、そうではなく報告だけにすべきなのかなとも感じました。
自分の行動に責任を持つ意味でもそれが本筋かもしれませんね。
ちゃんと極楽なり天国なりに行って故人と再会できるよう、自分を正していきたいです。
暑い日が続きますのでどうかお身体にお気をつけください。
いつも温かいお言葉ありがとうございます。
kk様は最近身の回りでご不幸があったのですね。おじいさまのご冥福をお祈りいたします。
渇望は扱いにくい厄介なものですよね。
不幸のときに自暴自棄になり渇望が出ることもあれば、kk様のおっしゃるような気持ちの変化の時期に出てきたりもします。
また、なぜかわかりませんが、順調なときにもひょっこりと渇望が生ずることもあります。
仏壇にお願いをするかどうかに関しては、各自の考え方があっていいと思うのです。
私の場合は、報告だけにした方が、「自己責任」というのを強く感じで身が引き締まりました。
しかし、kk様の場合は違った方法が相性がいいかもしれません。本当に人それぞれです。
なにはともあれ、故人から勇気をもらえる方法があると、心強いですよね。
kk様もお体に気をつけてくださいね。