お金や関心などからくる承認欲求よりも自己実現が大切である
我々は、他人よりもお金を持っているという優越性を追求したりする。
これも、「自分がどうありたいか」の一つの答えなのだと思う。
これはちなみに貨幣経済の考え方であって、最近は、関心経済(アテンションエコノミー)という言葉も出てきた。
これは人々の関心や注目の度合いが経済的価値を持つという概念である。
インターネットの普及が、情報量の爆発的増加と情報そのものの価値の低下をもたらし、情報の優劣よりも注目を集めること自体が重要視され、資源または交換財になりつつある。
簡単に言えば、TwitterやInstagram、Tik tokのフォロワーを金で買う人も出てくる(出てきた)ということだ。
最近の若者であれば、1万円もらうのと、SNSのフォロワー10万人もらうのどっちがいい?ときくと迷うのではないだろうか。
貨幣経済も関心経済も満たそうとしているのは「承認欲求」である。
集団の中で上位に位置している悦びに価値があるのだ。
昔は、貨幣に価値があったのだけど、最近は貨幣よりも関心を欲しがるひとが多くなったのかもしれない。(それだけ、経済的に豊かになった人が多いということなのかもしれないが、賃金格差の問題をみると、そういうわけでもなさそうである)
しかし、承認欲求のいけないところは、「勝てない勝負」をしてしまっていることだ。
集団の中で上位を目指すということは、Top of topにならない限り、完全に満たされることがない。
また、周囲の人をライバル視しすぎて、健全な人間関係を構築できない。
この弊害があるから、Whyを考えるときに承認欲求を含めてしまうと幸せになれないだろう。
そもそも、金や関心をかき集めるために人生をつかってしまったらもったいないではないか。
じゃあ、Whyを考えるときに、どうしたらいいのか。
それは、自己実現だと私は思う。
さいごに
自分の中で、これが使命だと思われるような役割を決められたら幸せなことだと思う。
生涯かけてまっとうしたいという目標が決まれば、人間は強く生きることができるのではないか。
自己実現、非常に深いテーマでパッと思いつくものではないが、それを探し求めるのが人生の面白さなのかもしれない。
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