依存症当事者同士が集まるオープンチャットでよく出てくる質問が、
「○○っていいんでしょうか?」
という質問です。
「問題行動に関連のあるアダルトサイトの閲覧はOKなのでしょうか?」
「パートナーにミニスカートを履いてもらってそれを盗撮するのはOKなのでしょうか?」
といった具合です。
これらの質問する心理に(ちょっと辛口に?)迫っていきたいと思います。
(これらの質問に対する私なりの回答も、最後に書きました)
質問する心理
「○○っていいんでしょうか?」
という質問はよくないのではないかと思っています。
それは、他人に評価をゆだねているからです。
もしかしたら、自分の言葉を信じて突き進む自信がないということなのかもしれません。
自信がないときは、誰かの助言が欲しくなります。
助言がもらえれば、”この判断は自分だけではないんだ”という安心感が得られます。
また、自分の決定に従って突き進んで、結果が悪かった時の言い訳にもなるかもしれません(ちょっと辛口の意見で恐縮ですが…)。
だって、△△さんが言っていたから…と責任の所在を丸投げすることができます。
責任を負うことがないというのは、魅力的だと思います。
他人の意見を参考に(?)
ここからは、ますます辛口になりますがお許しください。
「他人の意見を参考に」するのは大変有用だと思いますが、「他人の意見を参考に」といっている人の大半が、「他人の意見を鵜呑み」にしていると感じてます。当然、鵜呑みは良くありません。
アマゾンのレビューをみて、商品を評価するとか、
食べログの星の数をみて、定食屋を評価するとか、
そういうのは結局、他人の評価を鵜呑みにしてありがたがっているのと同じです。
誰が何と言おうが、自分のいいと思うものがいい。
そういう態度でなければ、”ホンモノ”を見つけることはできないと思います。
皆が良いと言うから見てみる・食べてみる、そんな人生はつまらないのではないでしょうか。
自分の人生なんだから、好き嫌いも、評価も、行動する指標もすべて自分が決定するべきだと私は思います。
依存症治療
他人に「○○っていいんでしょうか?」と聞くのではなく、自分で決めて突き進めばいいと思います。
○○が効果があると思って試す。繰り返す。
そうしたら、事態が好転したのであれば、「成功」であるし、
事態が悪化したのであれば「失敗」なので、修正すればいいのではないでしょうか。
(性依存治療においては、失敗=被害者がでてしまいますから、「失敗は許されない」ところが難しいポイントです…良くない”前兆”がみられるかどうかで判断するしかないかもしれません)
そうはいったものの、他人の意見を参考にしたいときもあるでしょう。
そういう時は、「自分は○○が効果的と思っていて、試そうと考えています。△さんの意見を聞かせてください」という感じがいいと思います。
自分の意見をまず提示する。
そこが、一番重要なところです。
自分が○○は良い/悪いと考える根拠までしっかり考えないと、言語化することはできません。
その考える過程が何よりも重要だと感じます。
そして、仮に相手の意見が自分の意見と同じであれば、より自信をもって取り組めるし、仮に賛成が得られなかったとしても、有意義なディスカッションができるでしょう。
番外編:例に挙げた質問への私なりの回答
「問題行動に関連のあるアダルトサイトの閲覧はOKなのでしょうか?」
Q.ダメです。
問題行動に関連のあるアダルトコンテンツを視聴していると、ドーパミンがでます。
そのドーパミンの量に慣れてくるともっとドーパミンが欲しくなります(耐性)。
エスカレートしていきます。
最終的には、問題行動が原因で逮捕や人間関係の悪化を招きます。
「パートナーにミニスカートを履いてもらってそれを盗撮するのはOKなのでしょうか?」
Q.お勧めできません。
絶対に成功する場面ではドーパミンが出ません。
問題行動によってドーパミンが出る要因の一つに、できるかできないかきわどいラインの成功率が関係しています。
今回の質問のような絶対に成功する場面や、反対に防犯カメラが沢山ある場所など絶対に失敗する場面では、ドーパミンが分泌されません。
以上の理由から、パートナーとの同意の上で行う疑似行為では健全なドーパミンの分泌が得られないため、お勧めできません。
コメント