かなり前の話になりますが、精神科で嗜癖の話になりました。
ミニスカートや制服、胸、下着。
いろいろな話題が出ました。
そういう人の話の中で、「目の前に〇〇(嗜癖の対象)があったら、さすがに男ならだれでも興味を持つと思います」
という発言がありました。
それを聞いて、私は、「うーん」と思ってしまいました。
例えば、巨乳の方が小走りして胸が揺れているとして、それを男ならだれもが見るでしょうか?
見る人も多い気がしますし、そのあたりの統計というか割合みたいなものはよくわからないのですが、さすがに100%というわけにはいかないと思います。
少なくとも、私はあまり揺れている胸に興味はないです。(すいません)
しかし、胸が好きな人からしたら、「さすがに(巨乳が揺れてたら)みんな見るでしょ?」というスタンスのようです。
逆に、私にとってはパンチラが自分の嗜癖の中心だと感じています。
なので、心の何処かで、「パンチラが嫌いな男はいないでしょ?」というような決めつけというか認知がありますね。
この根底にあるのは、「自分はみんなと一緒(でありたい)」という認知なのかなと思います。
あるいは、「みんな」興味あるはず、という白黒思考が隠れているのかもしれません。
いろいろな理由をつけて、「自分だけが変なわけではない」という風に自分を慰めたいのかなと感じています。
話は変わりますが、
精神科に通っている性依存の人で多いのが、痴漢と盗撮です。
下着泥棒や小児性愛、ストーカーは、マイノリティーだと感じます。
露出症はその中間といったところでしょうか。
そうなると、精神科というコミュニティーのなかで、
痴漢と盗撮に関しては、「みんなと一緒」になるわけなんですね。
「こういう時危ないよね」
「こういう時やりたくなっちゃうよね」
などと、内輪ネタで盛り上がることができますし、こういったお互いに共感しあうというのが救いになるときもあります。
「自分だけが変なんだ」と思いながら生きていくのってしんどいと思います。
なんとなくですが、みんなと内輪ネタで盛り上がっているひとは、スリップとか再犯が少ないような印象を勝手に持っています。(本当になんとなくです)
一方で、下着泥棒や小児性愛、ストーカーなど、あるいは性的なマイノリティーのかたなどは、なかなか同じ症状の方が少ないです。孤立とまではいきませんが、「症状が同じような仲間」は見つけにくいかもしれません。
精神科コミュニティーの中での立ち位置、つまり自分の嗜癖がメジャーなのかマイナーなのかというのが、私は治療成績に影響を及ぼすのではないかと考えます。
あなたがもし性依存症の克服を目指すのであれば、同じ嗜癖を持つ同志を大切にすると良いのではないでしょうか。そのつながりがいろいろな誘惑から自分を救ってくれると思います。
少なくとも私はそう考えているので、精神科で知り合った仲間は(相手さえよければ)ずっと仲良くさせていただきたいと考えています。
性依存の治療の第一歩は「自分は変態なんだ」から脱することだと思うのです。
コメント