理由というのは、なぜかわかりませんが、誰かに聞かれることが多いです。
- なぜ、あのとき○○したのか?
- なぜ、あれを買ったのか?
こんな風に尋ねられることがありますよね。
振り返ってみると、単一の理由があることは珍しくて、複合的な理由であることが多いです。
最近はいろいろな心理学的な勉強をしたので、
「自分はどの感情が欲しかったのだろう」
と自問自答することが多いです。
ここ数か月の間にコーヒー用品や腕時計を購入したのですが、
これらも、結局は何らかの感情が欲しかったのだと考えると、
それは、「レビューの評価が良いので安心感がある」「上等なものを使っているという優越感」「中古相場が安定していて値段が下がらないので資産価値がある」といったことを考えていたんじゃないかなと思いますね。
結局は、「自分は特別」という感情を満たしてくれて、「損したくない」というコスパの面でも自分を満足してくれるものを購入したのだと思います。つまり、優越性と安心感、この2つがキーポイントでした。
しかし、これで自分のことを分かった気になるのもどうかと思っています。
きっと意識に上がってこない無意識の部分も大きいのでしょう。
なんとなく・直感的に買ったという側面もあると思うのです。
その言葉に言い表せない無意識の部分というのが、わたしは人生を面白くしているのだと最近感じます。
無意識の部分が自分の人生をコントロールしているような気がしているのです。
話は変わりますが、その無意識の部分を意図的に鍛える・変更していくのが、性依存症の治療なのではないかと考えています。
では、無意識の部分が変わったのか、どこで判断すればいいでしょうか?
私は生活様式・習慣の変化だと思います。
それも、数か月~年単位での変化です。
私の場合では登山や日記を書く習慣が以前とは違う点ですが、
それ以外でもYoutubeで見るジャンルが変更されたことや、服装の変化というのもあると思います。
つきつめれば、ものごとの捉え方や思考回路にも変化があったように思います。
このブログの文体も変わっていると思います。
好みも、寝ているときの夢も、お金の使い方も、若干は変わっています。
つまり、確実に、数年前とは違う自分がいるのです。
これが、意図的に自分を変革した成果なのだと思うと、うれしいような、恐ろしいような、不思議な気持ちです。
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