教え魔というワードが最近有名なようです。
ボウリング場などで、他人に教える行為がよくみられるそうなのです。
そして、別に教えてもらいたくない人にまで教えてしまう人がいて、トラブルとなっているようです。
この、教え魔について、今日は書いていきます。
背景にあるのは権力意識・承認欲求
アドバイスという行為によって「自分が上という権力意識」が得られます。
アドバイスすることで、自分の影響力は強いと錯覚しやすく、「もともと権力志向の人が教え魔になりやすい傾向がある」という結果でした。
教え魔の心理には、「承認されたい」「他人に影響力や権力を行使したい」という欲求があるというわけです。
純粋な親切心というわけではなさそうです。
依存症当事者にもある「おせっかい」
依存症当事者はある種の傷つきやすさを抱えています。
ありのままの自分、ぼけーっとしている自分よりは、
人の役に立てる自分、努力している自分に陶酔してしまうこともあるでしょう。
だから、依存症の知識を生かしてなにかしてみたいと奮起する人も多いようです。
救済者になりたい、人の役にたって感謝されたい、心理士になりたい、知識を増やしたい、といった感じです。
(私もブログを書いているので、その側面があると自覚しています…)
承認欲求との闘い
承認欲求は自然な感情の一つです。
しかし、承認欲求が強すぎると、褒められたい、感謝されたいという感情ばかりが前面に出てしまい
本来やるべきことができなくなってしまうのが怖いところです。
特に、我々依存症者は自分の回復が一番大切なのですが、
治療者や他の依存所メンバーに良く思われたいがために、嘘をついたり、ごまかしたりしてしまうこともあります。(特にミーティングで)
誰かの役に立ちたいという思いが強すぎて、自分の回復は二の次にして「依存症で困っている人を助けたい」と奮起してしまうことも危険です。
どうすればいのか
- 誰かの役に立ちたい
- 他人の評価が気になる(褒められたい)
これらの感情が出てきたときは、危険です。
親切心ではなくて、「何か」を求めていることが多いです。
その「何か」とは、自分には影響力があるという自尊心であったり、自分が上という権力意識だったりです。
つまり、現状に満足することなく、感情を追い求めているのです。
我々が本来するべきなのは、今いるサポーターに感謝すること、今の環境に感謝することであり、何かを追い求めることではないと思うのです。
そして、恥じらいがあろうとも、誰かに嫌われてしまう可能性があっても、真実を語ることだと思うのです。
「強く見せる」努力はやめて、「強くなる」努力をしたいものです。
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