高級車が欲しいとき、
家が欲しいとき、
洋服が欲しいとき、
本当にそのものが欲しいのではなくて、ものは何かを満たすための手段と言われています。
その何かとは、何か?
ズバリ、それは、物語です。
物語と言うのは、たとえば、
- 仲間に自慢する
- 壊れにくくて長持ちしそう
- 家族と仲良く使う
などです。
そして、物語の先には、感情があります。
- 優越感
- 安全安心
- 連帯感
- スリル
- 成長感
などです。
そうはいっても、やっぱりものが欲しいんじゃないの?という意見も聞こえてきそうですが、
たとえば、高級車を買おうとしている時に、となりの家の人が全く同じ車を購入したらどうでしょうか?
一気に欲しい気持ちが萎えそうですよね。
ものが欲しいという心境は、前提が変われば増幅されたり、減弱したりするのです。
ものが欲しい理由は捏造されたものであり、捏造されたものだからこそ一貫性がないのです。
ものが欲しいのではなくて、物語、そしてそれに付随する感情を我々は求めているんです。
東京大学に入りたい
という目標も、東大に入りたいんではないんですね。
実現したい物語(自分の実力を示したいとか、高給取りになりたいとか)があり、その先には欲しい感情があります。
お金持ちになりたい
という目標も、お金が欲しいんではないんですね。
実現したい物語(将来安泰、自慢できる)があり、その先には欲しい感情があります。
モノ、学歴、お金などは物語を実現し、欲しい感情を手に入れるための手段にすぎないのです。
では、問題行動で実現したかった物語は何なのか。手に入れたかった感情は何なのか。
それを考えるのが、依存症治療そのものだと思います。
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