受動的に欲しい感情が決まってしまう

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ギャンブルの何が問題なのかと言うと、

負けている時は「取り返したい」と言うふうに安心を求めるのですが、

勝っている時は変化・好奇心・正義などの感情を求めているという点です。

つまり、受動的なのです。受動的に欲しい感情が決まってしまいます。

「目の前ににんじんをぶら下げられた馬」を私は思い浮かべました。

なんとなくですが、そんなイメージを抱いています。

普通は、人間の行動というのは自分に主導権があります。

  • 本を読んでつかれたから散歩に行く
  • 部屋が殺風景だから観葉植物を買いに行く
  • しょっぱいものが食べたいからモスバーガーに行く

適当に思いついた文章をいくつか書きましたが、基本的に自分がしたいように人生を生きていくことが私たちにはできるはずです。

ところが、依存症の問題行動(依存性のあるも)においてはその主体性というのが脅かされます。

  • 節約しようと思っていたのに買い物をしてしまう
  • ダイエットしようと思っていたのに食べてしまう
  • 非合法と知りながら、薬物・万引き・性犯罪などしてしまう
  • 怒りたくないのに怒ってしまう
  • 借金があるのにギャンブルがやめられない
  • ダメ男に貢いでしまう・面倒をみてしまう

依存症のみならず、日常においても、私たちには「傾向」といいますか、自分で制御することが難しい習慣や行動があります。

制御できなくて、流れのままに任せても大したことが起きない習慣であれば、それは問題ないのですが、

流れ着く先が悲惨なことも多いので、その辺りは直していくしかありません。

直すというのは主体性を持つと言うことです。

主体性を取り戻すにはどうしたらいいのか。

それは、「やめる理由を自分で見つけ出す」ということにほかなりません。

やめない理由ならいくつでも思いつくでしょう。自分の問題行動を正当化することは簡単です。

「やめる理由を自分で見つけ出す」ということは、自分と向き合い、自分の人生と向き合うことなので、なかなか一筋縄ではいきません。

「俺の人生はこのままじゃダメなんだ〜!」という一時的な奮起ではなく、

徹底的に考え抜いて、自分の意識から前意識くらいまでは潜り、なぜ問題行動を欲していたのかを内省する必要があると思います。

そして、もう一度自分の性質や自分の人生を俯瞰的に捉え直すことで、人生の軌道を変える、そういうことが主体的になるということなのではないでしょうか。

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