盗撮や痴漢に代表される性依存症というのは、
ビギナーズラックからのめりこみ、
こそこそとはじめ、
だんだん強い刺激を求め、
大胆になり、
最後には逮捕されます。(必ず逮捕されます)
しかし、盗撮や痴漢をやめると決心していくと、どういう変化をたどるでしょうか。
最初は、「やめよう」と思えば思うほど、問題行動のことが頭から離れません。
それに関連した妄想をしたり、インターネットで検索したり、問題行動をテーマとしたアダルトコンテンツを閲覧します。しかし、なんとか問題行動は踏みとどまります。
その後は、なんとか紛らわせます。紛らわせるのが上手になります。ほかの趣味を見つけたり、人間関係を重視したり。
しかし、理想的なターゲットを見つけたが、犯行は踏みとどまった時は、
「ああ、惜しいことをした」「もったいない」
という感情が捨てきれません。
さらに進むと、「昔はのめりこんでいたな」「昔ははまっていたな」「あんなことに大量の時間を使っていたなんて」
などと、回顧します。馬鹿馬鹿しいという感情が出てきます。
そうなってくると、だいぶ落ち着いた状態だと思います。
やはり、依存症になるのにも、依存症から遠ざかるのにも、ある一定の経過があるのだと私は考えます。
治療を進めていく中で、キーポイントは、
「ああ、惜しいことをした」「もったいない」
という感情だと思います。
それがあるのかないのか、が性依存症治療の一つのハードルだと思うのです。
偉そうに書きましたが、私は、まさにハードルの前後にいる、葛藤中の状態です。
精神科の助けを借りながら、仲間と一緒に、回復への道を歩み続けたいと思います。
コメント