依存症者を手助けすることでかえって依存症の回復を遅らせてしまう周囲の人間の行為のこと。
依存症ではそれを取り巻く家族をはじめとする親しい人間が、様々な問題行動に巻き込まれます。早い段階では、依存症者の社会生活が損なわれないように、周囲の人間が問題を小さくするよう協力・援助してしまいます。例えば「問題の後始末」「尻拭いをする」などがあります。具体的には、問題行動による借金を肩代わりして支払ったり(親がすることが多い)、職場への対応を一緒にしたり、などです。
このような援助を依存症者におこなっている者がイネイブラー(支え手)で、その行為をイネイブリングと言います。依存症の回復のためには依存症者本人が「これ以上問題行動を続けることはできない」という感覚(底つき体験)をもつことが必要であり、そうなって初めて問題行動をやめて回復したいと思うのですが、こうした状態となるためには、イネイブラーがイネイブリングをやめ、援助のルートが絶たれる必要があります。
イネイブラーとなり得るのは、「家族・友人や上司」「牧師・神父・僧」「医者(特に精神科医)」などです。共依存者もイネイブラーです。こうした人々が行動を変えることが依存症回復の第一歩となることがあります。
コメント
難しい問題ですね。
ある程度の援助も必要だったりする場合もあると僕は思います。
殺されて、臓器を売られちゃう場合や本人が自死しちゃう場合も有るでしょう?
確かに過保護は、依存症の回復の妨げになりますね。
一方で、援助者が誰も居ないと、依存症患者が孤立して、ますます症状が重くなる可能性も有ると、僕は思います。
本当に難しい問題だと、僕は思います。
あくまでも僕の感想ですから、根拠は有りません。
失礼致しました。
コメントありがとうございます。お返事が大変遅くなりまして申し訳ありません。
ご指摘のように、依存症者を放置するのか面倒をみるのかというのは本当にデリケートな問題ですよね。
ナルさんのおっしゃるように、依存症は孤独・孤立・さみしさと無関係でありませんから、面倒をみるというのもとても大切なことだと思います。
依存症者が人との繋がりを感じながらも、いい意味での自己責任を自覚して課題に取り組んでいけるといいのかなと思います。