後悔と反省の違い
後悔と反省の違いは何か?
私は、次のように考える。
- 後悔は自分のしてしまったことを後になって失敗であったと悔やむことであり、
- 反省は自分の良くなかった点を認めて、改めようと考えること
つまり、
- 後悔は、過去を変えたがる気持ちから生まれてくる感情
- 反省は、未来を変えたがる気持ちから生まれてくる感情
だ。
他にも、
- 後悔は、事態を受け入れられていない
- 反省は、事態を受け入れている(その上で何をすべきか考えている)
という考え方もあるだろう。
過去は変えられないから、後悔するのは意味がない。
後悔は、自分の人生の汚点をみつめて嘆いているだけだから、償いにもならない。
反省しなきゃいけない。「じゃあどうするか」を考えていかないといけない。
反省するということ
性犯罪でいえば、
原因は性依存症という病気だ。
責任は本人にある。
(原因と責任は別物だ)
性犯罪者としての責任を果たすということは、
再犯の可能性を減らす努力をすることであり、
原因は性依存症という病気なのだから、
治療すべく病院に通うべきということになる。
反省するということは、責任を果たすことであり、原因をつぶしていく(治療していく)ということだ。
償いとは
性依存症の治療の最終段階で出てくるのが、「償い」だと思っている。
償いというのは、「再犯をしない」という次元よりも上で、「被害者の気持ちに共感する」ということだ。
性依存症者は、相手の気持ちを考えることが苦手だ。共感力に乏しい。
だから、卑劣な犯罪をしてしまった。
そんな私たちは、まず「再犯防止」をすることが大切であり、その「再犯防止」を目的とするのであれば、「再犯をするのは損」「再犯をしていては人生の幅が狭くなる」という考え方をすれば十分である。被害者の気持ちを考えることは必ずしも必要ではない。自分の損得だけを考えていても、「再犯防止」は達成される。
しかし、犯罪行為を一切していないと、ふとした時に、被害者のことを考えることがある。
- 電車に乗っているときに、体を他人に触られたら気持ち悪いな
- 着替えているときに、撮影されたくないな
- 夜間道を歩いているときに、誰かにつけられていたら怖いな
- 男性の性器を見せつけられたら嫌だな
自分が被害にあったとしたら、とても怖いし気持ち悪いと思う。
男の自分ですら嫌なのだから、女性からしたら相当に不快であり、ともすると「殺されるんじゃないか」といった身の危険すら感じることもあると思う。
こんな風に、相手にしてしまった申し訳なかったことを、「もし自分の身に起こったら」と考えてみることが、償いの第一歩だと思う。
そして、相手の気持ちに少しでも寄り添う努力をする。
完全には理解できないかもしれない。自分は男だから、女の気持ちはわからないかもしれない。
でも、理解しようと努力することはできる。
その、努力のことを償いと呼ぶのだと思う。
以上の文章は、「私は償いができている」と誇示したいわけではない。
償おうとしてもなかなか償えるものではなくて、ふとした拍子に「被害者の方はこんな気持ちだったのかもしれないな」と思う時があるという事実を伝えたかった。
償いというのは、とても難しいテーマだけれども、「もし自分の身に起こったら」と考えることがヒントになるのではないかと思う。
まとめ
- 後悔と反省は別物
- 後悔は過去を変えたがる気持ちから生まれてくる感情
- 反省は未来を変えたがる気持ちから生まれてくる感情
- 反省とは、責任を果たすことであり、原因をつぶしていく(治療していく)ということ
- 「(性犯罪が)もし自分の身に起こったら」と考えることが償いの第一歩
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