人は、自分の存在意義を考えてしまう生き物です。
そんな時に、自分の存在意義が「○○が周りと比べて得意だから」などと条件付きの人がいます。
条件付きの自己愛というのは、自己否定感につながります。
人はどんなに優れているように見えても、欠点が存在します。
行き過ぎた条件付きの自己愛は、その欠点が許せなくなってしまうのです。
じゃあ、どうすればいいのか。
能力や性質に焦点を当てる態度を改めるべきです。
自分が精いっぱい努力しているところ、懸命に生きているところ、成長、といった点に着目してみるのはどうでしょうか。
周囲の人間と比較するのではなく、過去の自分と比較してみるのはどうでしょうか。
他人を馬鹿にするのを辞めて、各人が精いっぱい努力しているととらえてみてはどうでしょうか。
試していただけるとわかると思いますが、とても生きやすくなりますよ。
ところで、そもそも、どうして条件付きの自己愛というのが存在するのでしょう。
私は、学校制度に原因があると思っています。
学校では、同級生とのテストの点数の比較が行われ、優劣がつきます。
努力ではなく、結果をみます。
そして、人には優越性の追求という側面がありますから、他者と比較される「競争」が実は大好きです。
そうして、能力や性質に焦点を当てた条件付きの自己愛が育まれるのです。
私は、このような学校制度は、反対です。
過去の自分と比べて、成長が感じられるような取り組みを期待します。
そういえば、アメリカの体育で「心拍計」を使った取り組みがあるそうです。
体育の授業で、走る速さではなく、自分の心拍数がどれだけ高く保てたか(自分なりに努力しているか)で成績をつけたところ、生徒のやる気が引き出されたという取り組みです。
素晴らしいと思いました。
そんな風に、自分の成長や努力を感じながら人生を歩んでいきたいものです。
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