性依存症は誰でもなってしまう可能性のある病気だ、という意見がある。
だいたいが、性依存症者に対して言ってくれている温かい言葉のことが多くて、
「誰でもなることがあるんだから、気にするな」
という優しいメッセージなのだろう。
しかし、考えてみると、誰でもなる可能性があるというのであれば、性依存症者は色々な人がいるということになる。
強気な人、弱気な人、高学歴な人、低学歴な人、友達の多い人、友達の少ない人。
色々な人が性依存になるはずだ。
だが、実際は性依存症の人を見てみると、一定の傾向があるように感じる。
少なくとも、金髪で入れ墨が入っているような性依存症の人に、私はあったことがない。
色黒で、日サロに通っているという人も見たことがない。
私が感じている傾向というのは、他人との距離感がつかみにくく、生きにくさを抱えているという感じだ。
なんとなくだけれども、色白で、体の線が細めの人が多いようにも感じる。
身体的な特徴はさておき、「距離感」「生きにくさ」そのあたりがキーワードになるような気がしている。
依存症は二階建ての病気だと最近は思う。
私の場合には、一階部分に「自己愛性パーソナリティー障害」があって、二階部分に性依存症がある。
つまり、健全な社会生活を送っている人は、性依存症にはなりにくいんじゃないか、というのが私の仮説だ。
何らかの、「生きにくさ」の元となる一階部分が隠れているのではないだろうか。
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