人間にはいろいろな欲望/欲求があります。
欲望/欲求などと堅苦しい言葉を使わなくても、
「○○してみたいな」と思うことはあると思います。
たとえば、
- セックスがしたいな
- 盗撮がしたいな
- ドーナツが食べたいな
- 水が飲みたいな
- お金が欲しいな
- 青い服が欲しいな
などです。
この欲望/欲求はどこから来るのか。
グーっと深くまで探っていくと、
自分の中で「価値観・信念」のようなものがあるのに気が付くでしょう。
その「価値観・信念」というのは中立ではありません。
偏りがありますし、個性的です。(というよりも、この偏りが個性を作っている?)
例えば、
- 多くの女性とセックスをする自分に誇らしさを感じる
- 青い服のほうがかっこいいと思う
という価値観・信念があったしましょう。
合ってる・合っていないはさておき、そういう考え方があると仮定します。
では、その考え方はどこから来たのか。
さらに深く潜っていくと、
それは、「エピソード・物語」が隠れています。
幼少期の体験だったり、親からの教えであったり、読んだ本に書いてあったとか、友達から聞いた話だとか、広告だったり。
いろいろな物事の影響を受けているんです。
話をまとめると、
様々な体験や経験から、
個人の中で「エピソード・物語」が形成され、
そのから、欲望/欲求がうまれます。
ルイヴィトンのロゴだったり、タワーマンションだったり、
機能性のある靴だったり、壊れにくい腕時計だったり、
好きなアイドルだったり、好きな作家だったり、
いつでもどこでも、そこには、物語があります。
話は変わりますが、この「物語を信じることができる」という能力が人間の特徴なんだそうです。
その証拠に、お金・宗教はほかの動物には概念としてありません。
お金は、虚構です。
「このお金は、あとで、モノやサービスに変換できます。国家がそれを保証します。」という話を信じることができるから、人間はお金を活用できているのです。
宗教は、それはもう、物語そのものです。それを信じることができるのは、人間らしさだと私は思います。
自分の行動を変えたければ、物語を変える必要があります。
物語を変えるのは大変ですが、
ふとしたタイミングで、大きく物語が変わって、行動が変わることがあります。
皆さんも、そのような経験はありませんか?
私は、個人的に、梅毒とかが流行っているニュースをみて、風俗ってとても不潔だなという感想を抱きました。それ以降は、風俗を利用したいという願望がまったくもってゼロになったんですね。
ほかにも、テレビコマーシャルをみて、急に何かが欲しくなったとか、何かしたくなったというのも、物語の変換だと思います。脱毛のCMをみて、脱毛に興味が湧くなど。
「ふとしたタイミング」と先ほど書きましたが、それを意図的に行うのが精神科での認知行動療法なのだと思います。
それは先生にやってもらうものではなくて、自分で取り組むものになりますが。
「なんで、これが好きなんだろう」
「なんで、これがやりたいんだろう」
という自問自答がいいように思います。多分、答えが出ない自問自答になるので、誰かとやるのがおすすめです。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
ちなみに、「食べたい」というのは低血糖、「水を飲みたい」というのは口渇中枢からの信号、によるという生物学的な見方もあります。それも正しいし、そのほうが正しいと思います。
とすると、今日の話を生物学的にみると、ドーパミンなどの神経伝達物質が関係したシグナルということになります。
あくまで、今日のお話は「心理学的な側面から見た話」だということをご理解ください。
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