アメリカのとある学校の体育で心拍計を導入したそうだ。
心拍数というのは運動の負荷を如実に表す。
つまり、本人がどれだけ限界に追い込んでいるかを数字として出してくれるわけだ。
「220ー(年齢)」がその人の最大心拍数であり、それに近いほどきつい運動負荷だ。
すると、マラソンの遅い子供でも、心拍数が最大心拍数の生徒がいた。
集団でみると、ノロノロと走っていて遅いから、頑張っていないんじゃないかと思われていた。しかし、実際はとても頑張っていたのである。
それまで体育の評価は順位や能力に応じてつけられていたのだが、心拍計の数字も加味するようになり、その遅かった子供はA評価がもらえるようになったそうだ。
私はこれを読んで、いい話だなと思った。
普通は、その人なりに頑張っているというのは、評価できない。だから、外からみて何となく判断するしかない。順位が上位だとか、スピードが速いとか。
しかしその状況を心拍計が変えてくれた。
心拍計っていいなと思った。
そういう頑張りを評価するデバイスが色々あればいいのにと思った。
勉強でも、テストの点数が評価項目になっているが、本人の努力を加味できたら素晴らしいのではなかろうか。
依存症でいえば、スリップをたびたび繰り返している人もいれば、スリップ全然しない人もいるんだけど、それは個人の渇望の度合いも異なるし、一概にスリップの数で頑張っているかどうか決めるのも違うのではないかと思ってきた。
心拍計の話しから、外見で本人の努力を測るのは間違っていると気付いた。
今では、外見で人を判断するのではなく、「この人はこの人なりに頑張っているんじゃないか」と思うようにしている。
この考え方がすごくいい。他人に批判的ではなくなるし、自分も肯定できるようになる。
おすすめの考え方だ。
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