「夢をかなえるゾウ2」のシーンでとても印象に残っているシーンがある。
それは、RPGゲームを貧乏神とガネーシャ(こちらも謎の神である)がやっているシーン。
ガネーシャは次のステージに進みたいのだけど、貧乏神は次のステージに進まずに、今のステージにとどまって、装備などの買い物をしたいとのことだった。
興味深いと思った。
次のステージに対する認知が違うのである。
ガネーシャは、次のステージは面白そうだと捉えていた。変化というものは、新鮮さであって、好ましいということだ。言い方を変えれば、現状に満足していないともとらえられるかもしれない。
一方で、貧乏神は、次のステージが必ずしもいいものだとは限らないと考えていた。今のままの、現状維持の方がいいと。言い方を変えれば、現状に満足しているともとらえられる。
なるほど、次のステージというものも、人によってさまざまなとらえ方がある。
一般的には、次のステージというものは、なにか新しいものがありそうで、進んでみたいはずだ。
それは、人間にもともと備わっている欲求の一つである、好奇心がそうさせるのだろう。
事実、子供は、箱があったら開けてしまう。おもちゃがあったら、内部が気になってバラバラに分解してみたくなる。
そんな風に、私たちはもともとは好奇心の塊だ。
でも、生きていくうちに、好奇心は蓋をさせられてしまうことが多い。
実際に、人生は新しいステージの連続だ。
私の場合は、彼女と結婚するということ、子供が生まれてくるということ、仕事が始まるということ、どれも大きな変化だ。
それに対して、どんな認知があるのかというと、不安だったり、怖かったり、ワクワクしたり、楽しそうと思ったり、色々な感情が混ざっている。
次のステージに対して、どのような感情を抱くのが正解なんだろうか。
きっと、今の現状に満足している人にとっては、次のステージは危険と捉えた方が良いはずだ。
いい職場に恵まれているのに、転職を始めてしまったら危険だろう。
一方で、今の現状に満足していない人にとっては、次のステージはチャンスととらえてみるのがよさそうだ。
いま無職で悶々としている人にとっては、次のステージは恐れずに突き進んだ方がメリットがあるだろう。
でも、実際のところは逆というか、自分が苦しくなるような考え方をしてしまうことが多いかもしれない。
現状に満足しているのに、新しいステージに「何かがあるかもしれない」と期待して、無理に突っ込んでしまうパターン。
悲惨な現状で、早く新しいことにチャレンジしなくてはいけないのに、「今よりも悪化したらどうしよう」と不安になって、立ち止まってしまうパターン。
自分も、無職なので就活するしかないのだけれど、就活に対して「前科がばれたらどうしよう」という過度の不安を抱くときもあった。
その人の次のステージに対する認知というのは、非常に興味深い。
次のステージ。
不安も期待も入り混じると思うけれど、
自分の解釈は自分で選ぶことができる。
自分に都合のいいように解釈して、人生を進めていきたい。
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