当事者は、家族やサポーターから信じて欲しいですよね。
「よく頑張っていて偉いね」
「きっとやり遂げられるよ」
そんな言葉を聞きたいものです。
褒められたいです。
当然のことだと思います。
一方で、こうも思います。
さすがに、少し依存症の治療を頑張ったところで、
完全に信頼してもらえると思うのは失礼だなと。
なにかの拍子に、「あの人は問題行動していないかしら」と家族やサポーターが不安に思っているかもしれません。
もしかしたら、家族やサポーターは「信じてあげたいんだけど、信じられない」という悩みを抱えているかもしれないのです。
信じることや信じてもらうことって、とっても難しい問題です。
ただ、一つ言えるのは、
「俺のことを信じてくれ!」という発言は無意味だということです。
それどころか、逆効果だと思います。
信じて欲しいという目的・目標は間違っていないのですが、手段が間違っています。
信じて欲しいのであれば、行動で示さないといけません。
自助グループに行くとか、精神科に行くとか、関連書籍を読むとか、
GPSアプリを入れるとか、まめな連絡をするとか、
そういうことの積み重ねだと思うのです。
そういった行動や工夫をしないで、ただ「俺を信じてくれ!」と発言するのはあまりにも傲慢だと思います。
また、「○○してくれ」というのは、相手をコントロールしたいという願望です。
本当にコントロールしたいのであれば、面と向かって「○○してくれ」なんて言ったって無意味です。
どちらかというと、反発されてしまうでしょう。
うまく、下手に出て、相手を誘導したり、相手が○○してくれそうになったら褒める(自分は嬉しいと伝える)などの工夫が必要でしょう。
信じたいのに信じられない人
信じて欲しいのに信じてもらえない人
その二人が言い争いをしてしまうのが、依存症の辛いところなのかもしれません。
どういたら言い争いを終えられるでしょうか?
それを考えるのが、依存症当事者・家族の課題なのかもしれません。
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