他人の幸福を願う心の余裕・他人の幸福が喜べない自分

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他人の幸福を願うときは、心に余裕があるときです。

他人の幸福が喜べない時は、心に余裕がないときです。

他人を一緒に生きていく同胞とみるか、ライバルとみるか。

私たちは、部活動の試合だったり、学業の成績だったりで、幼少期から競争社会にいました。

一方で、団体競技などでは、団結する心強さも学んできました。

競争するのも協力するのも大切なのだと思います。

電車の優先席問題、つまり、「優先席なんかなくても困っている人には席を譲るべきだ」という論争がありますよね。

これって、深い問題です。私の考えでは、人には競争を好む性質も一部にはあると思います。

他人を蹴落としてまで自分がのし上がろうとか、他人が苦労してもいいから自分だけは楽をしようとか、そういう精神が人間どこかにはあるんだろうと思います。

一方で、他者貢献したいという気持ちも持ち合わせているでしょう。

やっぱり、誰かの役に立つって心地よいです。

どちらの自分が勝つかということだと思うのです。

他人に比べて恵まれていないなとか、偏屈になっちゃっていると、他人に席を譲る気持ちにならないかもしれません。自分がぎりぎり座席に座れたら「ラッキー」と思ったり、ともすると「ざまあみろ」と思ってしまうこともあるでしょう。

一方で、自分は満ち足りているから、社会的な弱者に貢献したいと思っている人もいます。

難しい問題ですが、私の中では、答えが出ています。

他人に優しくなれるときは、自分自身の心の調子がいいとき。

他人を蹴落としたくなる時は、自分自身の心の調子が悪いとき。

皆さんはいかがでしょうか?

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