問題行動ができたと仮定します。
そうすると、大した結果にはならないということがわかります。
女性を思いのままにしたり、理想的な射精をしたところで、、、
まあ、大したことはないですよね。
パンチラ見放題とか、女性触り放題とか、そんなにいいものではないです。
少なくとも、人生は良い方向には向かわないです。
性依存症者の理想的な状況って、思ったほどいいもんじゃないんです。
「できない」と思うとやりたくなってしまいますが、
「好きにしていいよ~」となると、案外、そっけないものです。
禁止されているからやりたいのかもしれないですね。
そして、むしろ、問題行動を好き放題できると仮定すると、
どんどんエスカレートして逮捕されたり、性的に過剰なものを求めすぎて生活が破綻したりするでしょう。
つまり、不幸に向かってしまうのです。
ズルズルと。
この表現がぴったりです。
最近、超理想的な性的な問題行動は何かな?と自問するときがあります。
たくさんの性奴隷がいて、好き放題できるとしましょう。
全員、私のいいなり。性交渉自由。
そういう設定が果たしていいのかというと、むしろ失うことが多いです。
自分の家庭や、妻との信頼関係を損なうでしょう。
そして、自分自身に嫌悪感を抱くに違いないのです。
昔の自分だったら、その設定は「最高じゃん」と思ったでしょうが、いまはネガティブな印象を抱くのが正直なところです。
ところで、昔はインターネットのなかにあるアダルト動画を連続でいくつもみるときがありました。
見境なしに見まくって、眠くなるか、疲れ果てるまで射精を繰り返していました。
最近では、そういうマスターベーションはありません。
これは、思うに、「まあ別に」という冷めた感じが自分の中で出てきていて、性への執着が薄れていると思うのです。
加齢かもしれませんが(笑)
今、性的なことが、頭から離れない人は、
問題行動が好き放題できたと仮定してみてください。
相手を妊娠させたり、何か理想的な射精までできたと考えてみてください。
それは、幸福でしょうか?
たいしたことない気がしてきませんか?
今日はこの辺で終わります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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