パーソナリティー障害というのは、とても興味深いと思います。
パーソナリティーは、幼少期の自分の過ごした家庭に適合する形で、育まれます。
私は父親不在となり、(少し頼りないと感じる)母親を守らなければいけないと思い込み、いわゆる「ヒーロー」を演じていました。
大人になってもヒーローを演じてしまい、成長感、賞賛、承認、自分は重要な人物であると思いたい、などを過剰に求めてしまい、それが性犯罪に使われてしまったと考えています。
(逆に、学業を頑張れたのも、自己愛性パーソナリティのおかげだと思います)
永遠の未解決問題に挑んでいるといってもいいのかもしれません。
私は、パーソナリティの治療は「歩き方の変更」を迫られてる状況に似ているのかなと思います。
歩き方は、関節の動かし方や脚長、体重移動などで決まると思いますが、多くがその人の体格に適合した最も理想的な歩き方だと思います。
しかし、靴底の擦り減り方が、良くないということで、変更を迫られている。
そうなると色々と歩き方を試さないといけなくなります。
パーソナリティ障害の場合は、認知を変え、行動を変えていかなければなりません。
テストで100点をとると嬉しい
雨が降って悲しい
というように、自動思考というのがありますが、私は今それを変えようとしています。
テストで100点をとると、次回のプレッシャーになるかもしれないな
雨が降ると作物が育つな
といった感じで、無理矢理考え方を変えています。
そうすると、以前よりも、自動思考が選べるようになり、生きやすくなりました。
特に人を馬鹿にしたり、蔑んだり、妬んだり、何かで損をしたと思ったり、そういう場面で自分の楽になる考え方を採用できるようになってきました。
認知行動療法というのは、とても面白いです。
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