暇だから渇望が出る?

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村上春樹のインタビュー集で「夢をみるために毎朝僕は目覚めるのです」というタイトルのものがあります。

夢を見るために寝るんじゃないの?

順番がおかしくない?

とも思いましたが、これはこれで正しいのかもしれないなと思いました。

さて、本題に入ります。

暇だから渇望がでました」という人がいます。

その人は、どうしてゆとりのある日を、「暇」と表現したのでしょうか?

「穏やかな日」と表現することはできなかったのでしょうか?

ここで気付くのは、「暇」という解釈を決めたのは自分だということです。

つまり、問題行動を実行したいがために、暇という解釈が捏造されたのかもしれません。

「AだからB」ではなくて、「BだからA」。

今回のケースで言えば、「渇望があったから暇と感じた」という順番かもしれないのです。

じゃあ、渇望の原因はなんだったの?という話になると思いますが、それは私にはわかりません。

ネガティブ感情だったりするのかもしれませんが、「寂しかったからやった」という人がいたとしたら、それもまた理由の捏造かもしれません。

もしかしたら、「ドーパミンが欲しい」というのが渇望の原因かもしれません。

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