回想することと孤独感

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人生を振り返ってみると、楽しかった思い出はたくさんある。

特に思い起こされるのが、高校生の時に勉強を頑張っていたころと、大学に入って夢中になってサークル活動のスポーツをやっていたころだ。

高校生のころは、帰宅部で勉強を頑張っていた。

進学校だったので、友達も勉強熱心だったし、皆同じようないわゆる難関大学を目指していた。

勉強を教え合ったり、どこの塾のどの先生が面白いという情報を共有したり、模試の成績を比べあったり、とても楽しかった。

大学に入ってからは、勉強はほどほどにサークル活動に精を出した。

とあるスポーツにであい、大会での上位入賞を目指して練習に明け暮れた。

練習後に、大学近くにあった行きつけの定食屋にいって、仲間と話すのが楽しかった。

夕飯を食べた後に、誰かの家にいって、酒を飲むこともあったし、漫画喫茶とかカラオケ、ビリヤード、ダーツなどをしに行ったこともよく覚えている。合宿もあった。夏は花火もした。青春の真っ只中だった。

そんな、高校生・大学生の頃の友人は、みんな立派になっていて、この前googleで検索してみたら、多くの人の名前が出てきて驚いた。活躍している姿を目にした。

もう一度、皆に会いたいなと思った。

しかし、私の前科を知っている人も多いだろうし、普通に私の名前で検索すると前科前歴が出てきてしまうので、どんな顔をして会いに行ったらいいのかわからない。

つまり、会いたいという気持ちと、もう二度と会いたくないという気持ちがある。

というか、普通に考えたら、人間関係を断絶しなければいけないような、「変態」な罪を犯してしまったのだ。

嗚呼、思い出話をできる人が一人もいない人生になってしまった。

過去に出会ったほとんどすべての人に会えないというのは、何とも寂しい人生である。

しかし、会えと言われたら、それは恐怖だし、居心地が悪いし、穴があったら入りたいという心境になるはずなのは確かである。

問題行動を起こした地域や、高校・大学で過ごした地域を離れて今は生活しているが、この地理的な距離を保った落ち着いた生活というのも、悪くはないのだろう。

今日は愚痴でした。最後まで読んでいただきありがとうございます。

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