認知は生きる上で必要な工夫のひとつ
それは、
「認知のゆがみ」というのは核心をついた言葉ではない。
歪んでいると思っている認知が正しいこともある。
1つの認知が合っているか間違っているかではなくて、
物事を複眼的な視点でみるのが大切である。
という趣旨だったかと思います。
認知というのは、あっているか間違っているとかではなくて、自動的に生成されてしまうものだと思います。
自分の歩き方が右足のかかとに負担がかかる歩き方でしたが、そもそも、なにか欠陥というか至らない点があろうとも、1つの歩き方の型がないとスムーズに歩くことはできないでしょう。(歩くという基本動作が毎回試行錯誤では、きっとたくさん転んでしまうでしょう)
食べ方でも、腕の組み方でも、お風呂での体の洗い方でも。
それは、毎回違うことをしていては大変なので、1つの型を定めることで、日常を省エネで過ごす工夫だと思います。
大人になる・成長する、というのは、この試行錯誤をやめて、型を定めていく過程のことを言うのかもしれません。
そして、考え方にも、何かしらの傾向なり型のようなものがあります。
その型のおかげで、物事を単純に処理したり、考える時間が短縮したりします。
だから、思考するのが省エネとなります。
雨が降って、「植物にとっては恵みの雨だな」「晴耕雨読」「水源の確保」などといろいろ複眼的に考えても、なんか面倒です。
雨が降って、「嫌だな」とだけ考えるのは単純で楽なのです。
つまり、認知というのは、そんなに悪いもんではなくて、スムーズに生きるために必要な考え方の型であり、歪んでいるとか歪んでいないとかそういう風に議論するものではないのかもしれません。
なので、あれもこれも、認知が違うとか、認知を正そうと思ってもうまくいかないのかもしれません。
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