結局、依存症治療とは何なのか①

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依存症の治療というのは、何をするのでしょうか?

依存症のことを知らない人も、知っている人も、この疑問はお持ちだと思います。

依存症の治療では、一言で言うと、「変わる」ことが必要です。

何かが変わっていればいいと私は思います。

しかし、「変わる」ということは、実はものすごくストレスです。

学生が転校や席替えで動揺するように、自分自身の習慣や考え方、ライフスタイルが変化するのは辛いはずです。

なので、ゆるやかに変わっていければ良いと思います。

私自身が3年の依存症の治療に取り組んで変化したことを書きたいと思います。

  • 神経伝達物質
  • 他者への寛容さ
  • 自分への寛容さ
  • 日常を丁寧に(余白をもつということ)
  • ミニマリズム・北欧
  • 運動

いろいろ挙げられますが、今日はその中から1つ「神経伝達物質」のことを書きます。

神経伝達物質

これは、精神科に行くと、必ず習いますよね。

これは、精神科医が注目している・処方薬が神経伝達物質に関連するという理由もあるでしょう。よく講義のテーマになっていますね。

やはり神経伝達物質のことを勉強すると、「感情って物質なんだ」という納得感があります。

子供と一緒に添い寝している時には「オキシトシンが出ているな」と感じますし、仕事が終わった時に「ドーパミンが出ているな」と感じます。セロトニンやノルアドレナリンもありますが、私はあまりイメージしないです。

とにかく、なにかの感情を感じた時に、所詮物質なんだよね、という冷めた目線を自分は持つようになりました。

この冷めた目線というのが、依存症の問題行動を抑制するのにうまく作用しています。

問題行動がしたい・問題行動ができる・問題行動を思い出す、そんな時には、ドキドキ、万能感、心地よさなど色々な感情があると思いますが、所詮ドーパミンが出ているだけです。

つまり、依存症は“ドーパミン欲しい欲しい病”な訳なので、「ドーパミンごときに踊らされているのはバカらしいな」と考えて、なんとなくですが、気分的に萎えます。「まあいいか」となるのです。

今日は、運動してドーパミン出しとくか。

問題行動をやめているから、ドーパミンが温存されてて、仕事終わりに気持ちいいな。

などと、よくわからない認知を私は持ちながら生活しています。多分、私だけだと思います笑

ところで、依存症の治療を始めたばかりのころは、頑張って・努力して問題行動を避けていたのですが、最近は「まあいいか」という感じです。

気合の入り方も違いますし、必死さも違いますね。

ちなみに、マスターべションにかける時間も激減しました。動画を漁ったりする時間も減りましたし、行為自体の時間も減っています。

性への執着が少しずつ解かれているように感じています。

性的に不能になるのは嫌なのですが、落ち着いてきているのは良いことだと思います。

「まあ所詮ドーパミンだよね」という考え方が、私にはいろいろ好都合だったようです。

他にも書きたいことがあるのですが、今日はここで終わりにしますね。

また続きを書いていきますので、ときどきサイトを覗きに来ていただけると幸いです。

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