「依存症」という病気で通院していますが、
「依存症」という病気は本当にとらえにくいものです。
病気という側面、つまり、(コントロール障害をもっているから)自分の意志とは無関係に行動してしまうという側面があります。
そういうときは、刑罰より治療、なんて言ったりもします。
「誰もがなってしまう可能性のある病気だから、あまり自分を責めなくていいんだよ~」と甘やかされたりもします。
一方で、関係者や他者に迷惑をかけてしまいますから、その責任の所在はどこ?となったときに、やはり「やりたくてやっている」んだから、本人が悪い(本人に責任はある)ということになります。
「いや、本当はやりたくて、やりたくないんだ。自分は病気なんだ。」などと両価性について弁明しても、多くの人は相手にしてくれないでしょう。
つまり、「依存症」というものの見方も色々あって、依存症者に寄り添う見方もあれば、罰する見方もあるのだと思います。
そして、じゃあ、自分自身は依存症をどう考えているのかというと、それもやはり色々な見方があるということになります。
色々な見方といっても、だいたいが精神科で習ったことや、書籍で読んだことなんですが。
私は、大きく二つに分けると、「依存症から逃げるぞ」という気持ちと、「依存症に立ち向かうぞ」という気持ちがあります。
昔は後悔や恥ずかしさなどがありましたが、それらの感情は無益なので捨てました。
今は、逃げたり立ち向かったりするという風にとらえています。
言葉にするのが難しいのですが、
逃げるぞ、というのは、諦めの境地です。
条件がそろってしまうと(条件をそろえてしまうと)、もう問題行動は避けられません。
そんな諦めがあるので、条件をそろえないように、冷静な時に対処するようにしています。
立ち向かうというのは、困難に立ち向かうぞ、という自己憐憫や陶酔も含まれているのかもしれませんが、それよりも、自分の大切なものが増えたということをひしひしと実感し、「負けるわけにはいかないな」というような気持ちです。
やはり、家族の存在や、仕事関係者のことを考えると、自分には責任があるから、問題行動なんてやってられないなと思います。
かっこいいことをつらつらと書き連ねましたが、
私は現時点も、毎日が戦いです。
邪悪なこと、自己中心的なこと、性的な問題のある欲求、などなど
いろいろなものと葛藤しながら生活しています。
一日一日を、安全に、幸せに、暮らしていきたいと思っています。
今日は久しぶりのブログでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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