自由

スポンサーリンク

自由とは何か。

それは、自分のやりたいことが実現できることだと思います。

ある人が、鉄球につなぎ留められているとしたら、自由ではありません。

一方で、その鉄球を外せば、彼は自由の身と言えるでしょう。

鉄球は、時には差別であったり、境遇であったり、貧困であったりします。

ところで、やりたいことが悪であったら。

やりたいことが、邪悪なものであったら。

本人が自由であることによって、残念な結果が生じるでしょう。

自由と言うのは、実現したいことが善であるときにのみ、有益とされる概念だと思います。

やりたいことが、邪悪なものである場合は、邪悪から自分を遠ざけてくれるもの、つまり、自分を善の範囲につなぎとめてくれる錨が必要になります。(邪悪なことをしたいという人がいても、邪悪そのものになりたいと願う人はいないはずです)

錨。それが、私たち依存症者に必要なものだと思うのです。

磁石に吸い寄せられる鉄片のごとく、私たちは嗜癖に対して無力です。

ですから、磁力の及ばない範囲に避難することが、必要です。

そして、磁力の及ばない範囲につなぎとめてくれる錨が必要です。

錨とは依存症の知識だったり、仲間の存在、応援してくれる人の存在、運動習慣、趣味など色々なものがあるでしょう。

規則正しい生活も錨となるでしょう。

我々は、錨を取り払うという意味での自由を謳歌することはもうできません。

自由を謳歌しようとしてしまえば、嗜癖に襲われ、問題行動に耽り、破滅するでしょう。

善の錨に繋ぎ止められた範囲で、限定された自由を楽しむのが、我々の生き方なのです。

依存症の克服とは、自由を手放し、不自由に身を置くことです。

しかしそれは、自分の生き方を主体的に選んでいるという点では自由と言えるのかもしれません。

コメント