彼女が入院していて一人だ。
いつも一緒だったので寂しい。
することがないから、人生について考えている。
自分は受験勉強を頑張りすぎたなと思う。
父親が死んでから、毎日深夜の2時とか3時まで勉強していた。
ノートに近づいて文字を書く癖があって、目が悪くなると母から注意されたが、
目が悪くなってもいいから後悔しないようにしたいと言い張っていたのを覚えている。
受験費用も、母親に心配をかけないように、参考書は古本屋で買ったり、受験は国立一本にしたりしていた。
本当はそんなに無理をする必要はなかったのだと思う。
苦しい状況で無理をして頑張るという自分に陶酔していたのかもしれない。
あの頃はあの頃で楽しかった。
目標があって、努力していた。
生き生きしていた。
でも、自分自身のケアをしていなかった。
自分の辛さや悲しみに向き合ってこなかった。
感情には、蓋をするというか、勢いに任せてしまっていた。
ところで、この前、A4の紙30枚を自由に折って並べて、高さのある塔をつくるというゲームをやった。
高い方が勝ちというゲーム。
制限時間がある。
チームに分かれて戦った。
あるチームは、制限時間手前で欲を出し、高くしようとパーツをのせたら崩れてしまって0点だった。
あるチームは、途中で倒れてしまったが、パーツが使い回せたので、新しく紙を折る必要はなく、組み合わせてそれなりの高さになった。
あるチームは、土台をしっかりと作り、一度も倒れることなく高い塔を作り上げた。土台のパーツは紙を二重にしていたのだという。
そのゲームを今日思い出して、「人生みたいだな」と思った。
途中で崩れる人もいれば、崩れない人もいる。
高さを求める人もいれば、安定を求める人もいる。
私は受験勉強をしているときに「高さ」を求めていて、「安定」を度外視していた。
土台がなく、細く弱々しいが高さのある塔を作ろうとしていた。
少ない材料で他人よりも高い塔を作ろうとしていたのかもしれない。
そうしたら、問題行動を起こしてしまい、自分の塔は倒れてしまった。
すぐに倒れてしまった。
いまは、その崩れてバラバラになったパーツを拾っている。
自分の持っている知識とか、いい部分とかがなくなってしまったわけじゃない。
残っているものがある。
それを拾い集めて、土台を作っている。
コメント
お疲れ様です。 興味深く読ませていただきました。
一度崩れてしまったものでもまたしっかりと積み上げていけば、きっと最後には立派な形になるのではないかと思います。
ブログ主さんのようにわたしも頑張っていきたいです。
彼女さんのご回復をお祈りしております。
いつもコメントありがとうございます。
彼女への温かいメッセージもありがとうございます。
自分自身と向き合い自分らしく生きていきたいと思っています。