『居るのはつらいよ』を再読した。
心理士の主人公(筆者)が沖縄のデイケアで働き、経験したことを綴った物語だ。
私も一年ほど無職でデイケアに通った。
今も、頻度は減ってしまったが、デイケアに通っている。
だから、とても興味深く読めた。
今回読んでみて注目した点がいくつかある。
まず、デイケアに参加する人は、「ユーザー」ではなくて「メンバー」だということ。
これは、各人が構成員となってデイケアというコミュニティーを形成しているということだ。
普通の診療科は、費用を払い、医療を提供してもらうから、「ユーザー」といってもいいと思うが、精神科のデイケアは全く意味合いが違っているというのが面白い。
また、躁的防御というもの、興味深かった。
人は誰かとの別れを経験するなどで不安定になったとき、活動性を増して対応することがある。
色々な資格に挑戦してみたり。
作中でも、とあるメンバーさんが、不安定になり「自分は薬剤師を目指す」という場面があった。
この躁的防御は、私自身ものすごく該当する。
まず、このブログを始めたのも、躁的防御だったのかもしれない。
無職になり、精神科に通うという状況で、勉強したことをみんなに披露しよう、形にしよう、そんな風に意気込んでいた。
また、色々な資格に挑戦したし、現在も精力的に(やや過剰に)アルバイトの予定を入れて忙しくしている。
きっと、無職とか解雇とか前科とか逮捕報道とか、色々な問題に私は対応していかなくてはいけなくて、その心理的な防御として躁状態を作り出しているのではないだろうか。
ちょっと、自分のことが分かったような気がして、嬉しい。
アジールという言葉も印象的だった。
アジールというのは避難所のことで、作中では「犯罪者がひとたびその中に入り込むと、それ以上その罪を責めることができなくなる空間」と紹介されている。
それは、ある人にとっては「秘密基地」であったり、「聖域」や「宗教施設」かもしれない。
スーパーマリオであれば、スターをとって無敵状態になっているときかもしれない。
私は、一日の終わりにベッドに入り込んでいるときに、とても穏やかで安心する。色々なものから解放される感じがする。ベッドの中もアジールだと思う。
そして、何を隠そう、デイケアはアジールである。
デイケアでは、前科や過去の問題行動を非難されることはない。もちろん失敗したこととは向き合うけれども、罰を受けることはない。
だから、デイケアに行くと、私は安心する。
本書では、デイケアの問題点も指摘していた。
特に、居場所型デイケアというのは、デイケア参加者が多い方が医療機関の利益につながる。
メンバーさんを病院の近くに住まわせ、生活保護にし、通帳を預かって金銭管理するという、「囲い込み」が行われている病院もあると紹介している。(Eクリニックとなっているが、おそらく榎〇クリニック?)
つまり、デイケアは(利益追求だけを考えてしまえば)刑務所のように収容所となってしまう危険をはらんでいるということだ。
だから、職員もやりがいや充実感がなくなってしまい、「私なにやっているんだろう?」と疑問を感じ、離職が多い医療機関もあるという。
この辺り、デイケアの問題点が書かれていたのも興味深かった。
もちろん、医療機関も利便性の高いところの建物を用意して家賃を払っているだろうし、経営のことも考えないといけない。利益も当然追求しなければならない。しかし、デイケアが刑務所のようになってしまっては、社会復帰・自立支援という機能が果たせなくなってしまう。難しいところだ。
デイケアの診療報酬のあり方が問われているのかもしれない。
今日は、読書からたくさんのことを学んだ充実した一日になった。
素晴らしい本を書いてくれた筆者に感謝したい。
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