彼女の実家に挨拶に行った時のこと、助言をくれた人のこと

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まず、そのメンバーさんはなぜ私に助言しようと思ってくれたのか。

その目的は何か。

それは、純粋な「貢献」の感情だろう。それ以外、わざわざ時間を使って私に声をかけてくれる理由など思いつかない。その人の経験や価値観に基づいて、助言しようとしてくれていたのである。

私からしてみれば、そういった助言を聞くのは、”得”でしかないのである。新しい考え方を手に入れるチャンスなのだから。

実際にすごくいいアドバイスだということを後で知った。

メンバーさんの助言は心理学的に色々なエッセンスを含んでいる。

「自分をよくみせるのなんて当たり前」というのは、「人間の共通性」を教えてくれていたのである。「誰だってそう」「みんなそう」というのは、悩んでいるときに楽になれる考え方である。

もう一つが、「それよりも、これからどう生きていくかの方が大事」。これはニーバの祈りとして有名な「神様、私にお与えください。自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを。変えられるものは変えていく勇気を。そして、二つのものを見分ける賢さを。」というメッセージに通ずるものがある。過去は変えられないのだから、今できることに目を向けなさいというありがたいメッセージだったのだ。

「実際にいい人間になってしまえばいいんだよ」というのは素敵な考え方である。自分の考え方は選べる。どう考えた方が自分の人生が良くなるか、自分が楽になれるかを踏まえて、主体的に選択することができる。いつまでも、悲しんでいたり、愚痴っていたり、前科があるとか逮捕歴があるから自信がもてないとウジウジしているよりも、「実際にいい人間になってしまえばいいんだ」という考え方のほうが明らかに自分にとって良い考え方だ。

もうそのメンバーさんは精神科を卒業されてしまった。社会に出て有意義な時間を過ごしていることと思う。また会いたいが、もう会うことはないだろう。

振り返ってみて、その方の助言のありがたさを知った。

いつか、私が困っている人にそんな助言をしてさしあげたい。

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