「浮気されるとなぜ嫌なのか」について徹底的に思考してみた

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浮気の場合

浮気の場合も構図は同じだ。

①恋人が私と別れて、別の人と付き合いたい場合

②恋人が私と同時に他の人と付き合いたい場合

という構図だろう。

この場合は、相手の立場に立ってみれば、実は合理的な選択であることもある。

つまり、よりよい恋人を見つけたので乗り換えたいというのは、転職と一緒で、本人に得があるのであるから容認すべきかもしれない(ドライな考え方だが…)。

②の同時に他の人と付き合いたいというのは、一つの企業に全力を捧げるのではなく、兼業・副業を行いたいということと一緒である。男性だと、複数の女性を性行為をしたいという願望があるひとも少なくない(それは最終的に幸せになれない不適切な考え方だと思うが…)。

しかし、男女問題では上のような「相手の立場に立ってみれば実は合理的だ」といった考え方をすることは難しい。

部活や会社は所詮は団体である。ないがしろにされても、「本人の立場からみれば、合理的な決断だから」と納得することができる。

一方で、恋愛において自分自身がないがしろにされたらどうだろうか。「そうか、自分よりもいい人が見つかったか。それはいいことだ。」などと思うことはできない。そう思える人はサイコパスか何かなのだろう。

また、同時並行の恋愛をされたなら、乗り換えられたよりも怒りを覚えるだろう。それは、自分に全部のエネルギーを注いでもらえないという無念さであり、何人かのうちの一人になることの悲しみもあるだろう。

自分は相手に対してすべてを注いでいるのに、相手がそれに応えてくれないというわけだ。性行為が念頭にあれば、清潔・不潔という概念も頭に浮かんでくるだろう。

お互いが同時並行の恋愛をしていない限り(遊び人同志の付き合いでない限り)、浮気の容認というのは存在しえない。

つまり、自分自身がさげすまれることで、自己重要がとてつもなく削がれる。部活や会社のように相手の立場に立って考えることなど到底できない

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