承認欲求
承認欲求は集団の中で上位にいたいという欲求です。
本当は、「誰かに」もてたい、「誰かに」ほめられたい、「何かのために」お金が欲しいのであるはずが、いつしか我々は対象や目的を見失い、もてたい、褒められたい、お金が欲しいという風になってしまいました。目的と手段が混在してしまっているのです。
「いいね!」欲しさに自分の得意なところ・自慢できるところをSNSに投稿するのは現代にありふれた行為ですが、その「いいね!」は刹那的で何も満たしてくれません。過去にたくさん「いいね!」をもらった投稿もいずれは忘れ去られてしまいます。
岡本太郎の言葉をここで引用します。
「怖かったら逆にそこに飛び込む」
「人に認められたいなんて思わず、己を貫け」
「本当は激しく生きたいんだよ」
「相手に伝わらなくてもいいんだと思って純粋さを貫けば逆に伝わるんだよ」
「人生に命を懸けてないんだ。だから傍観者になる。」
「危険だ、という道は必ず自分の行きたい道なんだ」
岡本太郎「強く生きる言葉」イーストプレス
どうですか?
強い言葉ですよね。
世間や社会に認められたい、褒められたい、尊敬されたいと思って生きてしまうと、それは世間的には良い人生となるかもしれませんが、「自分」はどこに行ってしまったのでしょうという話です。
人生は自分が主語でなければなりません。自分の評価者は自分でなければなりません。
怖いなと思うこと、危険だなと思うこと、誰かに嫌われないかなと思うこと。これらは本当はやりたいことなのです。これらを避けているということは、自分の人生を生きていません。自分の人生を生きるのに躊躇しているといってもいいでしょう。
私はこの言葉に触れてから、これは自分のためにやりたいのか?世間体のためにやりたいのか?と問うようにしています。
特に、仕事を探している時期なので、どんな仕事を選ぶのかとか、年収が高い方がいいと思うのはなぜかとか考えるときのヒントになります。
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