「隠さないで言って欲しい」ということ
ご家族の中で、「問題行動をしてしまったり、渇望・欲望がでたら、私に伝えて欲しい」という意見が出ました。
それは、きっと、「なんでも言い合える関係」というのは良い、という考えから来ていると思いますし、
問題行動の再発を危惧しているのだと思います。
もしかしたら、「”何でも話せる人”になってあげたい」と、救済者になりたいという願望があったり、
「隠し事をされるのは信頼されていないのではないか」という考えが背景にあるのかもしれません。
(勝手に心理を分析してしまいすいません)
当事者からしたら、まずは、日常が問題行動と隣り合わせです。
私も、もうやめたいのに、薄着の女性に目が行ってしまうこともありますし、ついていきたくなることもあります。
問題行動はしないまでも、問題行動をしていたことを思い出してしまったり、問題行動をやりたいなとふと頭をよぎることがあります。
ご家族が思う以上に、危険と隣り合わせです。
なんとか、安全に過ごすことができていても、毎日が戦いです。
そんななかで、ありのままを話すことは抵抗があります。
「え、そんなに渇望や欲望があるの?」といわれるのが怖いです。
なにも話さないと怒られる、何か話すと怒られるというのは、ダブルバインドといって、「何をしてもダメ」というとても苦しい状況です。当事者は無意識にこの状況にならないように工夫しているのだと思います。
また、相手を心配させたくない。
これは、相手を心配させて迷惑をかけたくないというのもありますし、
相手が心配することで、○○しろ、などと命令されてしまい、面倒なことになるのが怖いという心理もあるかもしれません。
そして、自分をよく見せたい。「俺、もう大丈夫なんだぜ」と言い放ちたいという気持ちが強いです。それは、自分に自信がないから、強く見せたいのかもしれません。
「俺はもう異常じゃないんだ」と言いたいんです。
依存症の治療は、どうしても自己否定が伴います。「私は○○に無力です」と認めることが依存症治療のスタートですが、それは「自分は異常なんだ」と諦めることでもあります。
「本当は、こんな人生にしたくなかったな」
「どこで踏み外したのかな」
そんなことを考えることもあります。
ですから、パートナーには、「俺はもう異常じゃないんだ」と見栄を張りたいというのが正直なところです。
弱いから、強がる。
これは、どうかご家族の方にも理解していただきたい側面です。
自信がなくて、見栄を張りたいときに、逆に過度に心配されたり、隠し事がないか尋問されてしまうのは、余計に自信をなくしてしまう結果になることもあると思うのです。
(今の私であれば、相手の立場も理解できます。「私の問題行動の再発が不安になるときもあるよなぁ」「私を心配してくれるのは、ありがたいことだ」と良い方向に解釈することができます。でも、いっぱいいっぱいだった時期は、「俺なんて信頼されないんだ」「頑張っているのにどうして・・・」と卑屈になってしまうこともありました。)
当事者からすれば、本当のことを話す場は自助グループやミーティングであり、
家族とは、幸せになりたいだけなのです。
家族は、私にとっては治療者ではなくて、家族です。
すべてを話すことが幸せになるという考えよりは、「余計な心配を与えたくない」という思いや、「良い面を評価してもらいたい」という気持ちが強いです。
ご家族のかたは、「当事者がなかなか自分の心の内(葛藤など)を話したがらない」という問題に直面することも多いと思いますが、
「話したくないという気持ちは当然だよな」
「私には見栄を張りたいんだな」
「いざ話して否定されたらどうしようと不安なんだろうな」
と、当事者に寄り添った考え方をしてもらえるととてもありがたいです。
まとめ
今回の記事は、特定のだれかに向けた記事ではありません。
オンラインミーティングを通して、「うーん、難しい問題だな」と自分の中でテーマとなった事柄について、自分の考えを整理したものです。
ほんの少しでも皆さんの参考になれば幸いです。
ご家族のかたは、本当にご苦労が多いと思います。
色々な葛藤があるなかで、回復に向けて努力されている姿勢に勇気をもらうことができました。
皆が、幸せになれることを願っています。
自分も頑張ります。
コメント