依存症の治療の初期は、とても渇望があります。
今まで、耽溺していた、趣味・習慣ともとれる、問題行動を絶っていると、逆にそれをしたくなるものです。
理由は色々とあります。
ドーパミンと報酬系回路が悪さをしている
すでに、その問題行動をすることで快楽を感じてしまうように脳の中の回路ができてしまっているというのも大きな理由です。
正式には報酬系回路といいますが、それが出来上がっています。
そして、それの特徴の一つが、「問題行動ができると期待しただけで、ドーパミンが分泌される」という特徴です。
これは、非常に厄介なことで、ふとした時に「あぁ、あれ(問題行動)やりたいな」と空想しただけでドーパミンが出てしまうのです。
なので、ふとしたトリガーに触れたときに、「やりたい」と思ってしまうのです。
例えば、アルコール依存の人が、ビールのCMを見たらドーパミンが出てしまい、飲みたくなります。
他にも、空腹のとき、イライラしたとき、寂しいとき、疲れた時にも飲酒欲求が高まるそうですが、そういうトリガーに触れて、「酒のみたいな」と空想すると、ドーパミンが出てしまうのです。
イメージとしては、梅干しを思い出すとつばが出る感じです。
思い出すだけ、空想するだけで、依存症者はその気になってしまい、問題行動まっしぐらです。
シロクマ実験と皮肉過程理論
シロクマ実験という心理学の有名な実験があります。
被検者に「シロクマのことは絶対に考えないでください」と命令すると、かえってシロクマを頭に思い描いてしまい、強く印象に残ったという実験です。
このことから、トラウマや失敗が忘れにくく、強く印象に残り続けるのも、「忘れたい」と強く思っているのが原因だとされています。
専門的には、皮肉過程理論というそうです。
皮肉過程理論は「何かを考えないように努力すればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなる」という現象を説明する理論です 。
さて、実はこの皮肉過程理論が依存症治療でも起こります。
起こるというか、依存症治療はこの皮肉過程理論との闘いだとも言えます。
小まとめ
ここまでの私の主張をまとめますと、
- 問題行動を期待しただけでドーパミンが出てしまうので、問題行動をやりたいと思ってしまう。
- 何かを考えないように努力すればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなる(皮肉過程理論)。
依存症の治療導入期の誤った考え
依存症の治療導入期は、そんなわけで、問題行動が頭から離れません。
期待しただけでドーパミンが出てしまうし、考えるなといわれると考えてしまうし…
しかし、治療始めているひとは、欲に負けて「やっちゃえ」とはなりません。
さすがに、問題行動をしていては、逮捕されたり、人間関係が壊れたり、人生が崩れていってしまうのを知っています。
問題行動をするべきではないのは、重々承知しています。
そうすると、どうなるか。
次のような発想をする人が多いです。
それは、「問題行動」をいい感じに調整して、「問題行動もどき」を楽しみながら、人生を生きていきたい、と。
例えば、
性犯罪であれば、風俗に行き、同意の上で疑似的な性犯罪をする。
盗撮、フェティシズムなどは、パートナーに好みの格好をさせて同意の上で盗撮する。
痴漢であれば、パートナーと電車に乗って、パートナーにだけ痴漢をする。
という具合に、「同意あり」の”問題行動もどき”を楽しむというわけです。
アルコール依存の人であれば、ノンアルビールを飲むといった行為です。
この問題行動もどき、実際にどうなんでしょうか?
”問題行動もどき”はダメ
結論から、先に申し上げると、「問題行動もどき」はだめです。
必ずエスカレートして、コントロールできなくなり、問題行動に走ってしまいます。
理由は、2つあります。
1つ目が、「とらわれから逃れられたいない」ということです。
問題行動をしないで生きていかなければならないのに、
結局は、何とかして問題行動をしたいという考えになってしまっています。
問題行動を忘れられていないのです。
2つ目が、疑似的行為でドーパミンを出しているため、耐性が進んでしまい、エスカレートするということです。
耐性については、簡単に説明すると、以前と同じ刺激では満足できなくなる現象のことです。
問題行動もどきは、問題行動を薄めた行為ともとらえられますが、結局はその薄さでは満足できなくなり、濃いもの(問題行動)が欲しくなってしまうのです。
まとめ
- 脳内報酬系、皮肉過程理論から、依存症の問題行動をきっぱりやめるのは難しい。
- なので、問題行動はやめるけれど、「問題行動もどき」を楽しみたいと思う依存症者も多い。
- しかし、問題行動もどきは行うべきではない。
- とらわれから逃れられていないし、耐性が進んでしまいエスカレートするからである。
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