「許せない人」

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皆さん、許せない人はいますか?

どうしても許せない人がいる、という人も多いと思います。

許せないというのは辛いです。

怒りに満ち溢れている状態とは違いますが、

怒りの火種がずっと消えないままの状態といってもいいと思います。

私は、正当な怒りというのは存在していると思っています。

実際に実害をうけたという怒りは正当なものです。

たとえば、親愛なる人が殺されたとしたら、犯人を恨むのは当然のことです。

しかし、一生許せないというのは、少々怒りを引きずり続けてしまっているようにも思います。

自省録に次のような記述があります。

他人の過ちが気に障るときには、即座に自らを反省し、自分も同じような過ちを犯してはいないかと考えてみるがよい。たとえば金を善いものと考えたり、または快楽、つまらぬ名誉、その他類似のものを善いものと考えるがごときである。このことに注意を向け、さらにつぎのことに思い至れば、君はたちまち怒りを忘れるであろう。それは「彼は強いられているのだ。どうにもしようがないではないか」という考えである。あるいはもし君にできることなら、その人間を強制するものを取り除いてやるがよい。

自省録 岩波文庫

親愛なる人を殺した犯人に対して、我々は何を思えばいいのか。

「殺人鬼の気持ちなどわからない」として排斥するのではなく、

人が過ちを犯したときに、その人が善悪に関するいかなる観念を抱いてこのような悪事をしたのかを考えてみるのが良いと思います。

すると、彼の中にある善悪は、形は違えど、自らの中にもあると思うのです。

善悪を誤ってしまったこと、邪悪な観念を実行に移してしまったことは残念な結果を生んでしまったかもしれませんが、

「理解することができない」というわけではないと思うのです。

さらに、上の引用にもある通り、「彼は強いられているのだ。どうしようがないではないか」という考えが、我々を怒りから解放してくれるように思います。

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