性癖とは何か。
たとえば、ハイヒールを履いた状態の女性としか性交できないのであれば、それは性癖なのか。
私たちは、性愛の対象があり、そこにはどうしても個人的な好みというのが存在する。
- 異性の13歳くらいの小児が好き。制服を着ていた方が好き。
- 背の高い女性が好き。ミニスカート履いていたら興奮する。
- メガネをかけている女性が好き。そのメガネに精液をかけてやりたい。
- 女性が排泄する尿をかけられたい、飲みたい。
- 同性が好き。
など、色々と好みは存在するだろう。もっと、不徳な欲望があるかもしれない。
性癖は、万人が持っている。
しかし、私たちが使う”性癖”という言葉は、どこか変態的な要素を含んでいて、他人には伝えるのが憚られ(秘匿しなければいけない)、自分で使うとしたら自虐的な、他人に使うとしたら侮辱するような言葉だ。
「私って○○フェチだから~」と安易に放たれる言葉というのは、性癖とはいいがたいように感じる。
変態的で秘匿しなければならないような性癖を”狭義の性癖”と考えると、この狭義の性癖は、本人を悩ませることになる場合もある。性癖が特徴的な場合だ。
- 「俺は変態なんだ」
- 「俺は人間の出来損ないなんだ」
- 「誰にも相談できない」
という悩みを抱くことになる。
その苦しみ・罪悪感から逃れるために、性に耽溺していくこともある。
(性に耽溺することで、自分と向き合うのを避けたり、現実逃避することができる)
そこで、私は、声を大にして言いたいことがある。
「どんな性癖も、抱いて結構」
つまり、どんなに奇異な願望でも、抱くことは悪いことではないということだ。
性的な妄想を抱くことは全く問題ない。
堂々と性的な妄想に耽っていい。
同意を得ない相手に強要してしまわないように注意をすればいいだけのことである。
特に、小児性愛のニュースに関しては、世間の目は厳しい。
小児が性的な対象である人は、自身の性質について、悩み、苦しむことだろう。
しかし、小児が性的な対象であることは、決して悪いことではない。
実行に移すことがなければ、誰からも咎められないのである。
あまり、思い悩まないで欲しいと私は思う。
自分を認めることからはじめてみてはいかがだろうか。
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