本当は激しく生きたい

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焦りと劣等感

今は仕事をしていない。失業保険で生きている。

生きているというよりは生かされているという感じがする。

主観的な解釈だ。

もちろん、精神的に不調をきたしているのであって、準備期間というか、土台を作っている期間なのだが、

焦る自分がいる。

焦るというのは、どういうことかというと、

仕事をしている(私から見ればちゃんとしている)人間や仕事を頑張っていた過去の自分と比較して劣等感を抱いているのだ。

自分に対する理想像があって、現実が追いついていない感じだ。

劣等感というのは、アドラー心理学でいうと、「健康で正常な努力と成長への刺激」らしい。

劣等感は誰でも抱くものらしい。

人間は生まれたとき何もない状態で生まれる。その無力な状態から脱したいと願う普遍的な欲求が背景にあるらしい。

つまり、人間は常に向上したいという願望があり、それが劣等感にも関わってくるというわけだ。

劣等感に対応しようとしている(けれどそれは間違っている)

私は現在無職だ。

これは客観的な事実として存在する。

それをどう解釈しているかというと、

「前科がある。逮捕報道が実名でされている。だから就職活動ができない。だから仕事ができない。」

という具合だ。

しかし、前科・逮捕報道があるから仕事ができないという考え方だが、これは因果関係ではないと学んだ。

因果関係があると考えると、前科があり、逮捕報道がある人は全員が無職にならざるを得ないという理屈になる。

そんなことはなく、前科や逮捕報道があっても働いているひとはいる。

因果関係はそこにはないのだ。

自分を納得させるために、あたかも因果関係があるように考えているだけだった。

もう一つ。

裏返して考えると、「前科や逮捕報道さえなければ、自分は仕事ができる」という理屈になる。

自分は有能で、価値があると考えているのだ。自分を慰めているのだ。偽りの優越感に浸っているのだ。

劣等感を持つことは正常だ。誰でもある。

しかし、劣等感を持ち続けることはできない。だから、なんとか人間は対応しようとする(無意識に)。

あたかも因果関係があるように考えたり、自分はある条件さえなければ有能だと優越感に浸るのだ。

他にも、自分は仕事ができなくてかわいそうだという自己憐憫がある。

無職なもどかしさを、彼女に話たり、精神科で話したりしている。このブログにだって何度も出てくる。

簡単にいうと不幸自慢だ。

不幸を話すと実は気持ちいい。

この心理はどんな感じかというと、

人よりも不幸であるということを誇示して、自慢し、人の上に立とうとしているらしい。

不幸であることを「特別」だと考えているんだ。

不幸であるという一点において、人の上に立とうとしているんだ。

挑戦したい、劣等感や恐怖を受け入れた上で

無職という事実を、前科のせいにしたり、不幸自慢したり、前科さえなければできるんだと思っている自分がいる。

うじうじしている。

停滞している。

本当は、自分のしたいように、誰にも邪魔されずに、邪魔されるのなんかお構いなしに、がむしゃらに挑戦したい。

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なんだ。

自分は働きたい。

自分を実現したい。

でも怖い。

理由を作って逃げてる。

挑戦して、打ち砕かれるのが怖い。

でも、その恐怖が生きてるってことなんじゃないか。

自分の劣等感を認めてあげよう。

自分の「怖い」という感情も認めてあげよう。

挑戦しよう。

本当は激しく生きたいんだ。

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