ミーティングというのは、向き合う場所であり、秘匿しない場所だと思っている。
- 自分の感情・心理(特に邪悪な自分)
- 向き合いたくない現実
- 過去(特に後悔している過去)
これらのような、普通は人に話したくない弱みを共有する場だと思う。
自助グループでは、
「私は性に対して無力であり、思い通りに生きていけなくなったことを認めた」
という、いわゆる12ステップの中の、最初のステップがある。
これこそ、まさに、一番隠しておきたい部分だと思う。
自分は性に無力で、思い通りに生きていけないなんて、とっても格好が悪いし、
思い通りにできないというあたりが、本当に情けない。
そのような、弱みをさらけ出せる場所というのがミーティングであり、私たち依存症者にはミーティングが必要だ。
そして、不思議なことに、弱みというのは共通する部分が多く、他人の語る言葉に共感することも少なくない。
他人の言葉に、「私だけじゃなかったんだ」と勇気づけられる。
他人の重い内容の告白を聞くと、「話してもらえた」というのは、なんだか信用してもらえたような、仲間に入れてもらえたような気がして、私は嬉しく思う。
その、ミーティング会場が一つの共同体のような感覚を持つこともある。
私にとってミーティングとは勇気づけ、勇気づけられ、団結する、そんな場所だ。
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