相手のこころ・自分のこころ~村上春樹『ドライブ・マイ・カー』を読んで~

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「どれだけ理解し合っているの相手であれ、どれだけ愛し合っている相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。(中略)しかし、それが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。」

村上春樹「ドライブ・マイ・カー」

相手のこころをみるのは、一見すると簡単なように感じる。

あの人は恥ずかしいんだな、緊張しているんだな、自信があるんだな。

そんな風に推測することがある。

でも完全に相手の感情を推測することはできない。他人なので分からない。

もしかしたら、一風変わった感情を相手が抱いているかもしれないし。

自分のこころをみるのは、一見すると難しいように感じる。

憎しみのなかに愛があったり、幸せをもとめているようで不幸を期待していたり、やりたくないことをやってしまったり、やめようと思っていることがやめられなかったり。

しかし、時間をかけて真摯に自分のこころに向き合うことで、これらの複雑な心理も、解きほぐしていくことができる。

自分のこころなので。

自分は変化を恐れていたんだ、自分は孤独を恐れていたんが、自分はすごいって思われたかったんだ、そんな風に自分のこころが判明したときはとても気持ちがいい。難しい数学の問題が解けてきれいな解答が導かれたときのように。

私は、自分の心と向き合い、他人のこころを変に邪推するのをやめるようにしたいと思う。

それと同時に、他人の気持ちを理解する努力ができるひとでありたい。

(ちなみに、引用した「ドライブ・マイ・カー」という短編は、村上春樹の短編集「女のいない男たち」に収録されており、最近映画化されました。)

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