現状の解釈を決めるときに、傾向と比較から逃れられない

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コップに半分の水が入っていて、

半分しかない、と考える人もいれば、

半分もあり、と考える人もいる。

これは結構有名な話ですよね。

実は、私も同じような状況です。

今、仕事で使う資格が残っているんですね。

私の罪名であれば、起訴されてしまえば一発でその資格は剥奪されているはずだったんですけど、

幸いにも被害者の方が許してくれて、不起訴処分になったんです。

だから、資格が残っています。

この資格が残っている状況は、当時はすごくありがたかった。

「これで、なんとか生きていける」

と思いました。

しかし、今は全然違うことを考えています。

  • (不起訴であっても)逮捕歴によりキャリアに傷がついた。
  • (資格にも階層があって)もう少し上の資格がとれていれば、仕事の幅も広がったのに。

という不満が出ています。

資格が残ったという状況に対して、

資格が残ってよかった

という解釈と、

もっと上の資格があればなぁ

という解釈が混在しているんです。

これは、どうしてなんだろう、と考えたときに、

傾向と比較

というのがキーワードだと思いました。

傾向と比較というのは、登り調子なのか、逆なのか、つまり以前と比べてどうなのかということです。

起訴されて資格はく奪かもしれない、という危機的状況から助かった時はすごく嬉しかったです。

しかし、時間がたってみると、キャリアに傷がついていない頃の自分(ちょっとした出世街道でした)と比べて、今は情けないなと感じました。

この、傾向と比較というものについては、自分なりによく考えていきたいと考えています。

変えることができない現実を、どのように解釈するかだと思うので、自分が楽になる解釈や人生が大きくなる解釈をしていきたいものです。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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