今日は、自分が自分に向けて書いた文章を整理していました。
書いたのは、1年以上前です。
思うところがありましたので、今回はその文章をブログに転載します。
幸せの定義
問題行動したいと思うことはある。ふと頭に浮かんで、できたら幸せだろうなと思う。しかし、そこで、自問する。「幸せ」とは何か。幸せの定義が問題行動では悲しいではないか。
幸せの定義②
依存症になると、幸せの定義が乱されてしまう。その定義を正したいと思っているが、なかなか難しい。文字通り、染みついてしまっている。
自問
今は、自問できる自分がいる。ここが、治療を1年受けた成果だと思っている。時間稼ぎができる。問題行動をすることを考えてしまっても、ぐわーっと飲み込まれずに、冷静に一歩立ち止まることができている。
マクドナルド
(2年前の夏は)マクドナルドで100円コーヒーを飲みながら、読書して、ノート作って、ブログを書いていた。精神科へ行くのが楽しかったけれど、お金が心配で毎日は行けなかった。とてもお金が惜しかった。
昔の会社のホームページ・同窓会
昔の会社のことや、同級生のことを考えると、みじめになってくる。華々しいなと羨む。自分に対しても、他人に対しても、怒りが沸く。
だから、治療を頑張った。これは負けないぞというのが自分には必要だった。デイケアで習ったことを復習して、妻に披露していた。
ストレス・否認
ストレスというものは定義しにくい。ホルモンの分泌量?自律神経?
ふつうは、なんとなくストレスという言葉を使っている。
「ストレスが原因です」という発言は否認だ。実際は、ストレスなんてものは定義されていない。だが、理由もなく問題行動をしたと考えると辻褄が合わないので、ストレスのせいにする。
アダルトチルドレン
大いに結構である。子供の時の課題(未解決課題)を大人になっても取り組んでいるらしい。
私が思うに、その人なりに必死に幼少期の家庭環境に適応しようとした結果がアダルトチルドレンである。
子供の時に愛されたと感じられなければ、大人になって人から愛されたいと願うだろう。
子供の時に「受け入れられた」と心から感じられなければ(愛着障害)、大人になって見捨てられたくないと願うだろう。
誰でも、ある程度は幼少期の環境に適合したパーソナリティになっていて、当然だと思う。
私は学生の時に父が死に、母子家庭になった。貧しくなった。だから、低コストでいい大学に入り、金を稼げる人間になりたいと願っていた。良い成績を母から褒められるのがうれしかった。ヒーローになりたかった。
だから、大人になった私は、ワーカホリック気味で、他人の評価を気にして、誰かから褒められるのが好きだった。自分はすごい人だと誇示したくて、他人をバカにすることもあった。そして、金は上手に使えなくて、過度に貯金していた。貧しくなるのが怖かった。
今では、この自分のパーソナリティに納得している。自分なりに境遇に適合してきた結果なのだ。少し扱いにくいし、ちょっとこじらせる(こじらせるというのは、ひょんなことから考え込む・ハマるということ)と、すごくネガティブになってしまう。だけど、これが自分なんだと納得している。うまく乗りこなせばいい。どうやって自分を乗りこなすか考えている。
ワーカホリック気味なところも、実際に高学歴になった。悪くない。貧困を恐れて、過度の貯金をするのも、借金をするよりはマシだ。
褒められたいというのは、コントロールできない他人に対して期待するということなので、厄介だ。頑張るモチベーションになるという点では悪くないが。
アダルトチルドレンはそんなに悪いもんじゃない。どう自分を乗りこなすかに焦点を当てる。
鉄と磁石
「問題行動はしたいけれど、逮捕されたくはない」と思うことがある。
うまくやれば成功するんじゃないか。一回くらいなら大丈夫なんじゃないか。悪魔の声が聞こえる。
ところで、たとえ話。自分が鉄だとする。
「磁石に近づきたいけれど、磁石にくっつきたくはない」と言っているのと同じじゃないか。
近づきすぎてしまえば、磁石に引き寄せられてしまうのは、鉄なんだから仕方がない。
鉄からプラスチックになろうとしても無駄だし、なにかうまいこと磁石に吸い寄せられない程度に近づきたいと思っても、大事な人生をそんなすれすれの生死のふちをさまようのに使ってはいけない。
自分が鉄であるのは変えられないとあきらめる。磁石に近づくのはあきらめる。
この2つしかない。依存症治療はシンプルに考えるとこの2つだ。
おわりに
今日は変なブログを書いてしまいました。
最近、ブログを書くエネルギーに満ちあふれています。
また、近いうちにいろいろと書いていきたいと思います。
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