1年半の治療を受けて⑥~償いについて~

スポンサーリンク

今、私は深い愛で包まれている。

こんな私を見捨てないでいてくれた妻のことを愛している。

愛している妻を悲しませたくない、そう思いながら日々過ごしている。

誤解を恐れずに言えば、私は性依存症になってよかったと思っている。

妻との絆が深まったし、

大切なことを勉強する機会を与えてもらった。

意志とは何か、欲とは何か、生きがいとは何か、決断とは何か、

毎日が勉強だが、それが楽しい。

もちろん、性依存症で傷つけた人がいる。

被害者、家族、関係者、

多くの人を傷つけ、悲しませてしまった。

取り返しがつくもの、つかないもの、様々だろう。

私は、償いとは何かと考えると、

依存症から回復していくこと

という結論になった。

そうすれば、新たな被害者も出ないし、誰も悲しまない。

しかし、依存症から回復するというのは、

実は幸せになることであり、愛に包まれることだと気付いた。

ここで、疑問が湧く。

被害者が苦しんだのに、自分は幸せになっていいのか。

償いというのは、罰をうけること、苦しむこと、というイメージが私の中にある。

きっと皆さんの中にもあるだろう。

しかし、その固定観念が間違っているのではないかと最近は考える。

繰り返しになるが、

償いとは、 幸せになることであり、愛に包まれること。

私は、このような結論に達した。

もちろん、刑事罰を受ける、民事的に損害賠償をする、被害弁償する

そのあたりは必須だ。

その先のこととして、

償い

をしてくのであれば、私は幸せになるべきだと考えている。

皆さんにとって、償いとは何だろうか?

(終わり)

コメント