「自分はしっかりやっているのに」という状態は危険なのかもしれないですね

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「自分はしっかりやっているのに」という考えは危険かもしれません。

「お前も私と同じくらいやれ」ということですよね?

何が危険なのかというと、

  • 嫌なことをやっているという現状
  • 他人に対してコントロール願望があるということ

の2点でしょうか。

「しっかりやっているのに」というのは、嫌々何かをやっているということです。

学生の時の掃除当番とか、自分がしっかり掃除しているのに、さぼっている人がいたら嫌だろうと思います。

しかし、人生において嫌々やっているというのは損ですよね。

「掃除している方が先生の評価が上がって得だからやる」

「掃除している方が気分が良くなる」

「教室が綺麗な方がいい」

こんな風に、自分の機嫌をとってみるのもいいと思いますし、

「掃除が嫌だから、さぼる」

という選択もありだと思います。

結局は、「嫌だけれどやる」という心の健康に良くない状況は、自分で工夫しましょう、ということです。

他人に当たるなんてカッコ悪いです。

そして、他人に当たるという行為の代表が、「お前もやれ」という命令です。

ひねくれた考え方かもしれませんが、しっかりやらなくても何とかなっている人がいたら、それはそれで素晴らしいことで、むしろ見習ったらいいんじゃないかとも思います。

また、あなたがしっかりやっているおかげで、だれかがさぼることができているかもしれませんよね。

この辺りは、依存症者とイネイブラーの関係に似ているかもしれません。

あなたが掃除をさぼることで、誰も掃除をしない状況になれば、さぼる人もさぼりにくくなるかもしれません(先生の見回りが強化されるとか)。

「お前もやれ」という命令 するよりも、自分がさぼることを考えたり、相手がさぼれているのはなんでかを考えたりしてみる方が、心の健康にはいいかもしれません。

皆さんも、「自分はしっかりやっているのに」と感じることがあったら、何か自分の心が楽になるような考え方や解釈をしてみることをお勧めします。

皆さんの心が穏やかでありますように。

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